とりあえずはじめてみる

                        
とりあえず、何かを始める、何かを変えていかないといけない、そう思ったことがこのブログをはじめたキッカケ。現在50歳、これまでの人生、あまりついてる方じゃなかった。数ある占い見てきたが、どの占いでも中年以降は運勢が良い、とある。もう中年もだいぶん過ぎてきたんだが…。...
とりあえず、何かを始める、何かを変えていかないといけない、
そう思ったことがこのブログをはじめたキッカケ。
現在50歳、これまでの人生、あまりついてる方じゃなかった。
数ある占い見てきたが、どの占いでも中年以降は運勢が良い、
とある。もう中年もだいぶん過ぎてきたんだが…。


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はじまりとおいたち

                        
プログを立ち上げて日々雑感を綴りはじめた。これから少しづつ、自身の生い立ちについて綴っていくことにした。なぜこのブログを始めたのか、きっとそこまでいきつくことことだろう。"わたしのはじまり"私の両親は駆け落ちして結婚した。風呂、トイレ共用の4畳半一間の長屋を借り生活していた頃、私は生まれた。私を産湯に入れるにも台所でお鍋でお湯を何度も沸かしてタライに入れ…ととても大変だったそうだ。当時その四畳半一間の...
プログを立ち上げて日々雑感を綴りはじめた。
これから少しづつ、自身の生い立ちについて
綴っていくことにした。
なぜこのブログを始めたのか、きっとそこまで
いきつくことことだろう。

"わたしのはじまり"
私の両親は駆け落ちして結婚した。
風呂、トイレ共用の4畳半一間の長屋を借り
生活していた頃、私は生まれた。

私を産湯に入れるにも台所でお鍋でお湯を何度も沸かして
タライに入れ…ととても大変だったそうだ。
当時その四畳半一間の家でシマリスを飼っていたそうだ。
そのシマリスはハンガーにかけてあった父の背広のポケット
にひまわりの種を隠し、ポケットがいつもパンパンに膨らんで
いた…、と楽しそうに母は思い出を語っていた。

「とても貧しかったがあの頃が一番幸せだった」と母は話して
いた。父もまたそう話していた。

       りす


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パンダこパンダ

                        
ものごころついた頃から家庭は実写版「巨人の星」。酒に飲まれた実写版星一徹は突然ちゃぶ台をひっくり返す、実写版明子は毎日のようにぶたれても一徹に言い返すこともやり返すこともなく、ただ泣いていた。小学校高学年くらいの時、「なぜお父さんと結婚したの?」と母に尋ねたことがある。母は「あなたが大人になったら話してあげる」とそう答えた。父は私にはすごく優しかった。他のきょうだいたちは父を恐れて話しかけることも...
ものごころついた頃から家庭は実写版「巨人の星」。
酒に飲まれた実写版星一徹は突然ちゃぶ台をひっくり返す、
実写版明子は毎日のようにぶたれても一徹に言い返すこと
もやり返すこともなく、ただ泣いていた。
小学校高学年くらいの時、「なぜお父さんと結婚したの?」
と母に尋ねたことがある。
母は「あなたが大人になったら話してあげる」とそう答えた。

父は私にはすごく優しかった。他のきょうだいたちは父を
恐れて話しかけることも近寄ることすらなかった。しかし
私は違った。父を慕い「お父さん、お父さん」と甘えていた。
お父さんは私にはとても優しかった。
父は単身赴任が多かった。
父が居ない間は父からもらったパンダのぬいぐるみが私の
お父さん代わりだった。
毎日パンダに話しかけ、パンダと一緒に寝る。
パンダが涙でぐしょぐしょになる夜も結構あった。

                          ぱんだ
                         (写真はイメージ)

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母と私

                        
お父さんは私にはとても優しかった。そんな様子を母はいぶかしく思っていたのだろうか、母は他きょうだいにはことのほか優しかったが、私には氷のように冷たかった、冷たい。長女だったが学校の制服は親戚からのもらいもの。学校が違ったのでデザインが違う。それを改造したつぎはぎのある制服をサイズが小さくなっても卒業まで着る。次女、三女はいつも新しい制服、卒業までの間もう一着買ってもらっていた。文句を言うと「あなた...
お父さんは私にはとても優しかった。
そんな様子を母はいぶかしく思っていたのだろうか、
母は他きょうだいにはことのほか優しかったが、私には
氷のように冷たかった、冷たい。

長女だったが学校の制服は親戚からのもらいもの。学校
が違ったのでデザインが違う。それを改造したつぎはぎ
のある制服をサイズが小さくなっても卒業まで着る。
次女、三女はいつも新しい制服、卒業までの間もう一着
買ってもらっていた。
文句を言うと「あなたは長女だからいつも一番に新しい
物を着てるでしょ!」と。
「いや、お古がほとんどなんだけど」と言っても通じる
ことはない、母には何を言っても伝わらない。母と私は
幼い頃からそんな関係。
母は私にはとても冷たい、冷たかった。
父と母の不和の原因はほとんど私が作っている、と母は
よく私に言った。
なぜそんな風に言うのか、私には冷たくあたるのか、
なぜなのか私にはわからなかった。

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パンツに対する想い

                        
給料を貰って一番に何が欲しいかというと、「まず靴下や下着を買いたい!」と思うほど私は靴下や下着フェチだ。 学校の制服はつぎはぎだらけであったが、靴下やパンツも同様だった。 「穴が開いたので新しいのが欲しい」と母にお願いすると、「家庭科で縫い物を習ったのだから自分で繕いなさい」ということだった。 母の言う通り、自分で穴を繕って履き続けた。 修学旅行の時、妹たちとは違い私はオニューのパンツを持たせ...
給料を貰って一番に何が欲しいかというと、「まず靴下や下着を買いたい!」と思うほど私は靴下や下着フェチだ。

学校の制服はつぎはぎだらけであったが、靴下やパンツも同様だった。
「穴が開いたので新しいのが欲しい」と母にお願いすると、「家庭科で縫い物を習ったのだから自分で繕いなさい」ということだった。
母の言う通り、自分で穴を繕って履き続けた。
修学旅行の時、妹たちとは違い私はオニューのパンツを持たせてもらえなかった。
つぎはぎだらけのパンツはとても恥ずかしかった。
体育館での朝礼の時、靴下のつぎはぎを隠すのに必死だった。

洋服はどうでもよいけど、下着やパンツにはこだわりがある。
それはこれら経験からだろうか?
ぱんつ
なんにしても、パンツにはドラマと人生がある。
「勝負パンツ!」にしてもまさにそうだ。
パンツにはドラマと人生が詰まっている!!
私はそう思うのであった。

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昔の記憶から…

                        
三歳くらいまでは父の仕事の都合で山の中で生活していた。父の仕事は用地造成が主で、プレハブ小屋(いわゆる飯場)で電気もガスも通っていない大自然の中での生活だった。幼かったので当時の記憶はほとんどないがひとつだけよく覚えている出来事がある。ある日、山で遊んでいると大嫌いな蛇に出逢う。大人達に「ヘビが居る~」と伝えに行った。しばらくすると白身のお肉を網で焼きながらの野外バーベキューが始まった。もちろん私...

三歳くらいまでは父の仕事の都合で山の中で生活していた。
父の仕事は用地造成が主で、プレハブ小屋(いわゆる飯場)で
電気もガスも通っていない大自然の中での生活だった。
幼かったので当時の記憶はほとんどないがひとつだけよく覚え
ている出来事がある。

ある日、山で遊んでいると大嫌いな蛇に出逢う。
大人達に「ヘビが居る~」と伝えに行った。しばらくすると白身
のお肉を網で焼きながらの野外バーベキューが始まった。
もちろん私も食べた。

三歳くらいの脳みそは「この肉」=「さっき出遭ったヘビの肉」
と関連付けることは無理だったらしい。

ここまで書いていてふと気付く。
日々さまざまな事柄において、これは出来る、これは私には
無理、出来ない、と物事を何かに関連付けて考えてしまって
いないだろうか?
三歳児だと余計なことも考えず行動出来たが、大人になると
色々考えすぎて行動に移せていないことって結構あるのかも。
いいことに気付いたかもしれない。

自然


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明子反撃!(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。) いつも優しかった父。 しかし父は酒を飲むと豹変し、母が入れたお茶を一口飲んで「なんだ、これは! ぬるいじゃないか!!」とちゃぶ台がひっくり返る、そんなことが日常茶飯事の、 まさに実写版星一徹であった。 そして母は、その父に全くはむかうことなく陰で涙する実写版星明子であった。 子供心にも「お母さんはどうしてやり返さないんだろう」と...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。)

いつも優しかった父。
しかし父は酒を飲むと豹変し、母が入れたお茶を一口飲んで「なんだ、これは!
ぬるいじゃないか!!」とちゃぶ台がひっくり返る、そんなことが日常茶飯事の、
まさに実写版星一徹であった。
そして母は、その父に全くはむかうことなく陰で涙する実写版星明子であった。
子供心にも「お母さんはどうしてやり返さないんだろう」とずっと思っていた。
しかし、たった一度だけ母は父にはむかった。それはとても痛快な出来事であった。

中学生の時、父が電話で誰かと話していた。中学生といっても女の直感って
あるんだろう。電話相手が女性で、父の浮気相手だと気付いた。しかし母に
伝えることなく私は見過ごしていた。
しかしある日、あろうことか父は、母の目の前でその女と電話のやりとりを
し始めた。
当然母も女の直感で気付いたようだ。あの従順で何があってもはむかうことが
なかったおとなしい母が、父の手から電話の受話器(昔なつかしい黒電話の
受話器)をいきなり取り上げて、そして思いっきり父に投げつけた。

電話

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事件(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。) それは高校2年生の時のことだった。 単身赴任中の父が、お腹の大きなおばさん(妊婦)を連れて家に帰ってきた。 「今から家族会議をするので集まりなさい」という父の一声でみんな集まった。 父は開口一番、 「(母を指差して)こっちが古いお母さん、(おばさんを指差し)こっちは 新しいお母さん、これからみんなで仲良くやっていこう!!」との...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。)

それは高校2年生の時のことだった。
単身赴任中の父が、お腹の大きなおばさん(妊婦)を連れて家に帰ってきた。
「今から家族会議をするので集まりなさい」という父の一声でみんな集まった。

父は開口一番、
「(母を指差して)こっちが古いお母さん、(おばさんを指差し)こっちは
新しいお母さん、これからみんなで仲良くやっていこう!!」とのたまった。
わが父ながら、この時はさすがに「おいおい、おっさん、いったい何を
言い出すんだ、頭がおかしいんじゃないか?」と思えるほどあきれてしまった。

母はというと「この人と一緒になっても苦労するだけですよ。悪いことは言わな
いから、一緒になるのはやめておいた方がいい」と不倫相手を説得している。
横で聞いていて「いや、そういうことじゃないだろう…」と思わずずっこけそうになった。

「そんなことはありません、この人は優しい良い人です」と言うおばさん。
「私も最初はそう思いましたよ。でもやめておいた方がいい」と母は説得を
続けている。
ところがそのおばさん、「お腹の子供がもうすぐ産まれます。このままでは
この子は戸籍がない子になってしまいます。それはあまりにかわいそうです。
この子のために別れて下さい」と母に詰め寄っている。
「たしかにこどもは可哀相よね…」と母。
(いや、そんなことを言っている場合じゃないんだが…)

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事件のその後(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。) 前回の話はこちら  あれから後、 おばさんの方は「家庭破綻の原因は夫の方にある」として、夫から 慰謝料300万円をもらい離婚した。 慰謝料を支払う方では?と思えたが、おばさんはずっと以前から こうなるように策を講じていたようだ。計画的で、ある意味こわい。 おばさんには連れ子(女の子)がひとり居た。 父と母は家庭裁判所で何度か調停...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。)
前回の話はこちら 

あれから後、
おばさんの方は「家庭破綻の原因は夫の方にある」として、夫から
慰謝料300万円をもらい離婚した。
慰謝料を支払う方では?と思えたが、おばさんはずっと以前から
こうなるように策を講じていたようだ。計画的で、ある意味こわい。
おばさんには連れ子(女の子)がひとり居た。

父と母は家庭裁判所で何度か調停したが、調停委員から夫婦仲の
修復と婚姻の継続を薦められていた。
そんな中、おばさんは「慰謝料を300万円支払うから離婚して下さい」
と母に催促し続けた。母はそれを拒否し続けた。
ところがある日、何を思ったか母が「離婚届にはんこを押した」と言う。
事情を聞くと、おばさんの再三再四の要求に耐え切れず、衝動的に
はんこを押してしまった、という。
(まぁ、気持ちは分からないでもない。)

「俺は300万円で売られた…」と父がこぼした。
父にとっては母が一番だった。
父は母と離婚する気はなかった。
母の離婚の承諾に父は相当ショックを受けていたようだった。
父は本当にみんなで、古いお母さんと新しいお母さんとみんなで
仲良くやっていきたかったのだ。
(それはふつうに考えて、とっても無理なことだが。)

こうして父母の離婚は成立した。

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父の子うまれる。(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。) 前回の話はこちら 「生まれたこどもを見ればすぐに分かるだろう」、母はそう言ったが、 生まれたこどもの写真が父から届いた。 一見すると男の子に見える女の子の写真だった。 それにしても、父は男の子をずっと欲しがっていて、そのため子供を 4人作ったが産まれてくるのは毎回女の子(一番末の子は生後すぐ亡くなった)。 このたびも「今度こそは...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。)
前回の話はこちら

「生まれたこどもを見ればすぐに分かるだろう」、母はそう言ったが、
生まれたこどもの写真が父から届いた。
一見すると男の子に見える女の子の写真だった。
それにしても、父は男の子をずっと欲しがっていて、そのため子供を
4人作ったが産まれてくるのは毎回女の子(一番末の子は生後すぐ亡くなった)。
このたびも「今度こそは!」と思ったことだろうが、またしても女の子であった。

母と私たちはその写真を見た。
見た瞬間、誰も言葉を発さなかった、いや、発することが出来なかった。

あかちゃん
産まれたばかりにして超色黒
産まれたばかりにして髪の毛ボーボボー
眉毛が、眉毛が…、眉毛が~!
産まれたばかりにして超かっこいい眉毛!
ではないか。

…、父から受け継いだと思われるところが
何ひとつとして見当たらず…。



ちなみにうちの姉妹のあかちゃん時は
顔は父似、母似、父母ミックス、とそれぞれ違い
があるものの、これだけはやっぱり遺伝よね~、
というのが、色の白さ、髪の毛ショボショボ産毛のみ
であったこと。父のあかちゃん時もそうだったそうだ。
髪の毛に関してはみんな生後1年たってもまともな
毛が生えてこず、親を心配させた。
(昔のひとは「剃ったら濃い毛が生えてくる」とわが子の
毛を剃っていたらしく、私達きょうだいもあやうく剃られる
ところだった。)

わたし
そして、眉毛だ。
うちは眉毛がみ~んな父親譲りだ。
眉尻の毛は下に向かって生えている。
かっこ悪い眉毛である。


おそらく父の子ではない。すでにこの時点でフラグは立っていた。
だが父にそれを伝えることはせず、父の行く末をただ見守った。

いつか父と母がヨリを戻して一緒になることを望んでいたが、
そうはならなかった。

そしてこの先には私の想像をはるかに超えた行く末があった。(つづきはまた)

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母の願い(おいたちより)

                        
おいたちについて、ほぼ順序に沿って綴りつづけてきた。 これまでは両親のことが中心であったが、そろそろ私自身のことが 中心となる時分が近づいてきた。 父の行く末についても時折織りまぜながら、先に進めていきたい。 (これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。 前回の話はこちら) 小学校高学年の頃、「なぜお父さんと結婚したの?」と母に尋ねた。 母は「あなたが大人になったら話してあげ...
おいたちについて、ほぼ順序に沿って綴りつづけてきた。
これまでは両親のことが中心であったが、そろそろ私自身のことが
中心となる時分が近づいてきた。
父の行く末についても時折織りまぜながら、先に進めていきたい。
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。
前回の話はこちら

小学校高学年の頃、「なぜお父さんと結婚したの?」と母に尋ねた。
母は「あなたが大人になったら話してあげる」と答えたのだが、
父母の離婚後、私が18歳の時、母がその問いかけに答えてくれた。

お父さんはお酒を飲んでいない時はとても優しい人だった、
子煩悩で仕事も一生懸命やる人だった、とまず話してくれた。

お父さんとの結婚は祖母(母の母親)から反対されていた。
父は家から勘当にされ、故郷の土地を離れて暮らしていたことから
祖母は「どこの馬の骨かもわからない、そんな人と結婚するな。
それでも結婚するのなら、親子の縁を断つ!」と母に告げていた。
しかし母は親の反対を押し切り、駆け落ちして父と結婚したという。

その後、父は酒にのまれると暴れはじめた。
「親が言っていたことが正しかった。実家に帰ろう」と、身重の身で
幼い私を連れて遥か遠く離れた実家を訪ねた。しかし祖母から「帰れ!
顔も見たくない。二度と来るな!」と叱責され、家の門をくぐることもなく
トンボ帰りしたという。
祖母は戦時まもなく夫を亡くし、それからひとりで10人の子どもたちを
育て上げただけあって、とても気丈な人だった。

「やっぱり親が言うことって正しいのよね…。
この先あなたにも色々なことがあるだろうけど、お母さんの二の舞は
したらダメよ。二の舞だけはしないようにね。それがお母さんの願いよ。」
そう言って母は話を締めくくった。

…しかし、しか~し、
お恥ずかしながら、残念ながら、私はバツ2である。
二の舞どころか、その倍、四の舞なのであった。(つづきはまた。)


=お若い方のために=
勘当とは、親が子に対して親子の縁を切ること。
駆け落ちとは、親から結婚の許しを得られない男女が、しめし合わせて
ひそかによそへ逃げること。

花


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おいたち番外編 其の一(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら にあります。) 小学生の頃は成績優秀、学級委員、生徒会の会長もしていた末の妹、 その妹が両親の離婚後一変した。 ある日のこと、街ですごい不良少女を遠目でみかけたうちの母。 一緒にいた人と「まぁ、すごい格好ね。親の顔を見てみたいわ」と 話していた。するとその少女が母達の方にだんだん近づいてきた。 すぐ近くまで来たその時、「おい、母ちゃ...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら にあります。)

小学生の頃は成績優秀、学級委員、生徒会の会長もしていた末の妹、
その妹が両親の離婚後一変した。

ある日のこと、街ですごい不良少女を遠目でみかけたうちの母。
一緒にいた人と「まぁ、すごい格好ね。親の顔を見てみたいわ」と
話していた。するとその少女が母達の方にだんだん近づいてきた。
すぐ近くまで来たその時、「おい、母ちゃん!」とその少女。
その時初めて少女が自分の娘だと気付いた母。
「本当に穴があったらはいりたかった。それくらい恥ずかしかった…」
と母。(たしかにそれは超恥ずかしい)。
しかしそのくらい、驚くべき速さで妹は変化(へんげ)したのであった。

当時流行っていたドラマ「積木くずし」、まさしくあれ。
積木くずし









  当時の私↓
  趣味は読書。
  万年文化部。
  超まじめ。
超まじめ

対する私、
昔からその当時にわたって、「超」がつくまじめ&カタブツ、オタク、そしてオクテ。
だから、勉強以外のことはすべて妹と真ん中の妹に教えてもらう。
たとえば、昔なつかしい学生カバン…

妹は
(とってもスタイリッシュ。)
かばん
        (画像Wikipedia引用)

私は
   ぶたかばん昔
(辞書もちろん 弁当箱もそのまんま 横に入るぞ ブタカバン)

「ねぇ、ちょっとだけ、カバン薄くしたいんだけど、どのようにするん?」
と妹にやり方を教えてもらった。
…、と何から何までこんな感じだった。

それにしても、今の時代、
「ぶたかばん」と検索にかけると、
画像検索結果は そのまんま、のブタカバンばかり出てきたので
思わず笑ってしまった。
      いまどきのぶたかばん
   (画像 豊天商店 美豚シリーズより)

女四人、かしましい以上にかしましかった我が家。
そんな我が家では、その後も新たな話題がことをたたず…であった。
(つづきは次回)

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おいたち番外編 其の二(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら にあります。) 前回、其の一はこちら その後、末の妹は16歳で結婚し、17歳で出産した。 産院での妹はあまりの痛さに耐え切れず、「腹を切ってくれ~っ!! おどれ、早く腹を切らんかいっ!わ~れ~!」と終始ドスをきかせて 医療スタッフにすごんだそうである。 産婦の母として妹に付き添っていた母だが「ほんとうに穴があったら はいりたかった。それく...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
にあります。)
前回、其の一はこちら

その後、末の妹は16歳で結婚し、17歳で出産した。
産院での妹はあまりの痛さに耐え切れず、「腹を切ってくれ~っ!!
おどれ、早く腹を切らんかいっ!わ~れ~!」と終始ドスをきかせて
医療スタッフにすごんだそうである。
産婦の母として妹に付き添っていた母だが「ほんとうに穴があったら
はいりたかった。それくらい恥ずかしかった…」とまたしても語っていた。

父の子誕生の3年後に生まれた妹のこどもは男の子だった。
あんなに父が欲しがっていた男の子。
父が家を出て数年もたたないうちに我が家に男の子が誕生とは、
神さまはいたずらだ。

しばらくして父の子(5歳)と父、妹の息子と私たち3姉妹が一緒に
会食をする機会があった。
その時の父は、妹の息子に「はい、お父さんのお膝においでー」と
幾度も間違って話しかけ、「お父さんじゃないでしょ。おじいちゃん!」
と何度も妹から突っ込まれていた。
(わが子とほとんど歳が同じだから、勘違いしてしまうのも無理はない。)

この席で妹が「この子(妹の子)と、お父さんの子ども、このふたりって
どういう関係にあたるのかなー?」と何気に言った。
「名探偵コナン」で有希子(コナンの母)が語った「私の祖父の兄の娘の
いとこの叔父の孫」ほど複雑ではないにしても、誰も即答できなかった。
単純に考えると「おば」と「甥」の関係で合っているのではないかと思う。
しかし今このプログを書きながら改めて頭を悩ませてしまった私である。
(すぐに答えが分かったかた、あなたは凄い!頭の回転が早いです!)

ちなみに、妹の息子は立派に成長し結婚して子供もできた。
40歳代で私もおばあさんになったわけだが、このままいくと
ひいおばあさん、ひいひいおばあさんになることも夢ではない。
(番外編 おわり)

ビー玉

(by photo AC)

                     

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「晴天の霹靂」(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。) (まずは高校時代から) この頃は進路について考え、決めていかなければならない。 当時、私はTVレポーターになりたかった。世界各国をまわり、ゲテモノを 食しながら現地をリポートするTVリポーターになりたい!と思っていた。 (当時だと「なるほど!ザ・ワールド」という番組の益田アナウンサー、 現在だとタレントのイモトアヤコさんがその代...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。)

(まずは高校時代から)
この頃は進路について考え、決めていかなければならない。
当時、私はTVレポーターになりたかった。世界各国をまわり、ゲテモノを
食しながら現地をリポートするTVリポーターになりたい!と思っていた。
(当時だと「なるほど!ザ・ワールド」という番組の益田アナウンサー、
現在だとタレントのイモトアヤコさんがその代表格だ。しかしイモトさんの
ように超巨大ゴキブリを食すのは私はちょっと無理だが。)
進路は大学へ進学、局アナウンサーをめざそうと考えていた。

リポーター

両親の離婚で母子家庭となり、大学進学は経済的に不可能となった。
新聞奨学生(新聞の配達・勧誘:集金の仕事をしながら大学に通う)
という方法をあたってみたが「男子でないとダメ!」ということだった。
クラスメートが「吉本興業が新人募集しよる。お前、応募しろ!」と助言
してくれた。たしかにお笑いからアプローチしていくことも可能だ。しかし
あまりにも適性がなさすぎる。
吉本興業は進路の選択肢から外した。
そして就職することにした。

当時はまだパソコンが普及しておらず、女子の就職では珠算と簿記が
必須であった。生徒の大半が大学に進学する高校に通っていた私は
珠算も簿記も全く出来ない。そのため高校の卒業式を迎えてもまだ
就職先が決まらずにいた。
そんなある日、
母の知り合いのそのまた知り合い、という人が経営している会社で
4月から雇ってもらえることになった。
社員10人足らずの小さな広告代理店で、事務と広告のデザインが
主な仕事だった。
仕事が暇な時は戸外に出て、上司がゴルフのパターや素振りを教えて
くれた。お昼やすみには座敷部屋でNHKの連続テレビ小説をみんなで
見ながら昼食をとる、そんなとてもアットホームな会社だった。

続き

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「晴天の霹靂」のその後(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら にあります。) 前回の話はこちら 会社倒産後、 失業手当というものがあると知り職業安定所に出向く。 しかしそこで「あなたは雇用保険に入っていなかったので給付の 対象外です」と伝えられる。 高校を卒業してすぐに就職したが、私は「雇用保険」というものが あることを知らなかった。 経営者は従業員を雇用保険に加入させる義務がある。しかし、 ...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
にあります。)
前回の話はこちら

会社倒産後、
失業手当というものがあると知り職業安定所に出向く。
しかしそこで「あなたは雇用保険に入っていなかったので給付の
対象外です」と伝えられる。
高校を卒業してすぐに就職したが、私は「雇用保険」というものが
あることを知らなかった。
経営者は従業員を雇用保険に加入させる義務がある。しかし、
私は雇用保険に加入しないまま知らずに働いていた。社会保険や
厚生年金に加入するということも知らずに働いていた。(怪我や病気
を全くせず、病院に行くことがなかったので気付くこともなかった。)
本来なら加入していなければならない制度でも、ちゃんとなされて
いない会社もあるんだ、とその時知った。そして、
情報を知ることがいかに大事か、を痛感した。
以降、私は様々な制度についてよく調べるようになった。

各種制度について聞きかじりでもいいので知っておくと、いざという時
に助かることがある。助成金や給付金を利用、活用できることもある。
調べていると、世に広く周知されていない制度、助成金や給付金は
結構ある。情報を知っているのと知らないのとでは大違い、ということも
よくある。
今の時代、インターネットですぐに詳しく知ることが出来るので便利だ。
…そんなわけで、私は「調べ魔」である。

労働法について知りたい方は
こちらへ⇒厚生労働省作成、労働法を身に付けてもらうためのテキスト
(pdf 全53ページ)


さて、その後だが、…

つづき

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語り継がれる(おいたちより)

                        
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら にあります。) 前回の話はこちら 珈琲店で勤める以前はコーヒーは苦いので全く飲めなかった。 コーヒー牛乳とカフェオレしか飲めない「お子様」であった。 そんな私にマスターが「Sunちゃん、本当に美味しいコーヒーは 砂糖を入れなくても甘いんだよ。ちょっとこれを飲んでごらん」と ほんの少量のドリップしたてのコーヒーをすすめてくれた。 半信半疑...
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
にあります。)
前回の話はこちら

珈琲店で勤める以前はコーヒーは苦いので全く飲めなかった。
コーヒー牛乳とカフェオレしか飲めない「お子様」であった。
そんな私にマスターが「Sunちゃん、本当に美味しいコーヒーは
砂糖を入れなくても甘いんだよ。ちょっとこれを飲んでごらん」と
ほんの少量のドリップしたてのコーヒーをすすめてくれた。
半信半疑で口にすると、本当にそのコーヒーは苦くなかった。
ブラックなのにほのかに甘さがあった。
いつしか私はコーヒーが大好きになり、砂糖もミルクも入れずに
飲むようになった。

マスターは珈琲に対する想いが大変深かったが、お客さんへの
想い入れも大変深かった。
初めて訪れたお客さんが何を注文し、砂糖やミルクを入れたかを
必ず覚えておく。再びそのお客さんが来店した際は「(前回と同じ)
○○でよろしいですか?」と尋ね、砂糖やミルクも前回同様にする。
「もしSunちゃんがお客さんだったとしても、二度目のお店で自分の
ことを覚えてくれていたら嬉しいでしょ」ということだった。

たしかに、常連のお客さんは(例外もあるが)いつも同じ銘柄で、
砂糖やミルクの量も決まっている、という人がほとんどだ。
再びお店に来てくれた人は「常連になろうかな」と思いながら来店
されたのかもしれない。だから常連のお客さんとしておもてなしを
することが大切、というわけだ。
しかし最初のうちはなかなか覚えられず、よく叱られていた。

このお客さんに対する心遣い、これはあらゆる職業において通用
することのように思う。
私はこのお店でコーヒーのことのみならず、多くのことを学んだ。
そしてその間に多くの失敗もした。

カフェ

続き

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誕生日が同じ(おいたちより)

                        
ブログにお目を通してくださり誠にありがとうございます。 前回につづき今回もまた珈琲店での話がつづきます。 (これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら 前回の話はこちら 珈琲店のマスターとマスターの奥さんは、お店のスタッフの 誕生日には毎年バースデーパーティーを開き祝ってくれた。 私がお店で初めて誕生日を迎えた時も盛大に祝ってくれた。 「Sunちゃん、おめでとう!」(とプレゼントを受...
ブログにお目を通してくださり誠にありがとうございます。
前回につづき今回もまた珈琲店での話がつづきます。
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
前回の話はこちら

珈琲店のマスターとマスターの奥さんは、お店のスタッフの
誕生日には毎年バースデーパーティーを開き祝ってくれた。
私がお店で初めて誕生日を迎えた時も盛大に祝ってくれた。
「Sunちゃん、おめでとう!」(とプレゼントを受け取る。)

バースデー
てんし
「ところで、
Sunちゃんの誕生日って、昔うちの店で働いていたある人間とおんなじ日なんだ。
Sunちゃんはまるで天使みたいにいい子だけど、そいつはまるで悪魔のようなとんでもない、ろくでなしの人間だったんだ。
そいつとSunちゃんの誕生日が同じ日なんてビックリしたよ~。同じ日に生まれてもこうも人が違うとはおどろいたよ」とマスターが言った。
マスターは人のことを悪く言うことは全くなかったので少し驚いた。
その人は相当ひどいことをしたんだろうなーと思った。
それにしても、この世で人様から「ろくでなし」と言われるようなことって、その人は一体どんなことをしたんだろう?

後日私はマスターに「私と同じ誕生日のろくでなしの人って一体なにをしたんでしょうか?」とたずねた。

あくま 「Sunちゃん、●●っていう人間はね、…、…」
…マスターは涙ながらに語った。
その●●という人間は、マスターの恩をあだで返し、その上に、猫がトイレをしたあとでうしろ足で砂をひっかけてササッと去るが、それと同じような感じで自分の恩人であるマスターに砂をひっかけるようにして店を去っていったのであった。
話を聞いていて、「ほんとうにろくでなしだ…」と思った。

「Sunちゃん、もし●●っていう人間に出会ったら、もしかしたらそいつかもしれないから、気をつけるんだよ」とマスターが言った。
マスターのその言葉を当然わたしは「冗談話」として聞いていた。
とにかく、●●という苗字の、誕生日が私と同じ日のろくでなしがこの世には居るらしい…。そのくらいの認識であった。

<ピン・ポン・パン・ポン♪♪>
今回の話、話の中身は大したことがない内容なのですが、ところが、実は、今回の話はずっ~とず~っとず~っ先に、思いもよらない所でリンクします。以上、超未来予告でした!
<ピン・ポン・パン・ポン♪♪>

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ペンフレンド(おいたちより)

                        
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら 超がつくまじめ&カタブツ、オタクだった私。 年頃になり、ボーイフレンドと共に出掛けて行く妹たち、そんな妹たちを尻目に家にこもり趣味の裁縫に没頭する毎日。(今思うと、まるで「お年寄りの日常」みたいな生活である。) ご近所のおばちゃん達は「そろそろお年頃になるのにおねえちゃんはボーイフレンドのひとりもいないの?」と心配してくれていた。(昔はこ...
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
超がつくまじめ&カタブツ、オタクだった私。
年頃になり、ボーイフレンドと共に出掛けて行く妹たち、そんな妹たちを尻目に家にこもり趣味の裁縫に没頭する毎日。(今思うと、まるで「お年寄りの日常」みたいな生活である。)
ご近所のおばちゃん達は「そろそろお年頃になるのにおねえちゃんはボーイフレンドのひとりもいないの?」と心配してくれていた。(昔はこういったことも親身に心配してくれるフレンドリーなご近所さんが多かった。)

唯一、男の子と交流があったが、それは中学校の時から10年以上に渡り文通を続けていた文通友達(ペンフレンド)だった。
私にとってその人は、家族の次に付き合いが長い。

ポスト その男の子は小学校のときに転校してきた。同じ小中学校に通い、同じ部活動に所属し、同じクラスになったこともある。
しかし話をしたことはほとんどなかった。
彼は中学生のとき、また転校していった。
その後、彼から手紙が届いた。
引越し先での近況など書かれてあった。
私は自分の近況を伝える手紙を書き、返事を送った。

その後、高校生になっても、大人になっても、文通はずっと続いた。
男女の間に友情は存在しないと言うが、彼と私は互いに「大切な友人」であった。
ソウルメイトと言っても過言ではないだろう。
互いにたくさんの事柄を積み重ねながら、成長し大人になった。
そしていろんなことがあった。
これまでにその人と私の間において、
色々な運命が何度も交錯した。

それは神さまのいたずらなのか、
神が示す、神が示した、道なのか…。
過去形でなく、現在進行形でもなく、未来形でもないSTORY。
(つづきはおいおいに)
お手紙こないかな
【お詫び】 前記事で不具合が発生したため、記事を一旦削除し再投稿しました。 拍手をくださっていた方、ごめんなさい。よかったらまた拍手ください。

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最初の結婚

                        
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちらにあります。 珈琲店で数年勤めたあと、私は一般企業に就職し正社員として働いた。 そして20代前半で最初の結婚をした。 社内結婚だった。一度もデートをしたこともない、手をつないだこともない、もちろんお付き合いをしたこともない人と、だった。(そんな相手と結婚をするなんてアホとちがう?と誰しもがそう言う。私自身もそう思う。) 父母の離婚後、ロー...
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちらにあります。

珈琲店で数年勤めたあと、私は一般企業に就職し正社員として働いた。
そして20代前半で最初の結婚をした。
社内結婚だった。一度もデートをしたこともない、手をつないだこともない、もちろんお付き合いをしたこともない人と、だった。(そんな相手と結婚をするなんてアホとちがう?と誰しもがそう言う。私自身もそう思う。)

父母の離婚後、ローンが残ったままの実家を母が譲り受けた。
母は午前中は保険外交員、午後は飲食店の事務員、深夜は飲食店の仲居…、とほとんど寝る暇なく働いてローンを支払っていた。私も少ない給料のうちいくらかを家に入れていた。
しかしある日突然、「家を売るから今月中に家を出て行くように!」と母から言い渡される。
突然そう言われても、今まで家にお金を入れてきて貯金は全くない。家を借りるにしても敷金・礼金・前家賃が要る。さて、どうしたものか…。
…期限の日がどんどん迫ってきた。

当時、職場には気が合う同僚が居た。
仕事 どんな風に気が合うのかというと、その同僚と仕事をしていると、互いに驚くほど効率よく仕事が片付いた。
上司は「君たちはほんとうに名コンビやなぁ。なんなら結婚したら?」とよく言った。
しかし私にとってその人は、あくまでも仕事のパートナー、であった。

ある日の残業後、その同僚と初めてふたりきりで食事に行った。
互いに仕事の話ばかりしていたが「Sunちゃん、最近仕事でミスすることが増えてないか?そんなことはめったになかったから、少し気になるんだけど…」と相手が言った。そんなことまで気付いているのか、さすが名パートナー!である。
「実は、今月中に実家を出なければいけないんだよね…。家を借りるにしても貯金はないし、期限はどんどん近づいてくるし。最近はずっとそのことばかり考えているから、そのせいかも…」気がつくと、思うことをそのまんま相手に伝えていた。

すると彼が「ベストタイミングでいい話があるよ!」と言う。
親友が急に県外に転勤することになり、「家をそのまま空けるのは無用心なので、タダでそこに住まないか?」と声をかけられたところだと言うのだ。「もしよかったら、Sunちゃんもそこに間借りさせてもらえるかどうか聞いてあげるよ。広い家だから僕ひとりで住むのはどうかな、と思っていたところなんだよ」と、ほんとにタイミングが良すぎる話が転がりこんできた。
すぐにでも乗っかりたい話である。しかし相手はいちおう男の人だ。
この件はまず母と話をして、母から了承を得た上で決めよう…、ということにした。

母と話をした。
「未婚の女の人が男の人とひとつ屋根の下で一緒に生活をするなんて、とんでもありません!!一緒に住むというのなら今すぐ籍を入れなさい(結婚しなさい)!!籍を入れないのなら許しませんからねっ!!」と言う。

私は単にルームシェアをしたいだけだ。
「いや、まだお付き合いをしたことも、手をつないだこともない人なので、籍を入れるというのは逆にまずいと思うんだけど…。籍を入れるかどうかは一緒に住んでからにするよ」と説明した。
しかし母は「籍を入れなかったら一緒に住むことなど絶対に許しませんからね!」と、話は全然ラチがあかなかった。

「今までお互いにそんな風に考えたことはなかったのにね…。さて、これからどうしよう…」私がそう言うと、彼が「うまくいくんじゃないかな?結婚しても。僕はこの子はいいお嫁さんになるだろうな、って思っていたし…」と言ってくれた。
これまでに男の人とお付き合いをしたこともない私が、相手から突然そんな風に聞かされ、頭が一瞬でポーっハート となった瞬間であった。
この一瞬のポーっハート で私はその人と結婚することを決めたのであった。(←ほんまにアホです。大いに笑ってやってください。)
こうして私は入籍し、彼の友人宅での間借り生活が始まった。

しばらくして実家は人手に渡った。
植えてから一度も実をつけたことがなかった庭のさくらんぼの木が、家が人手に渡ってからようやく実をつけるようになった。たわわに実をつけるようになった。

たわわに実るさくらんぼ、お父さんと家族みんなで植えたさくらんぼ。
私もいつか、あのさくらんぼのように、たわわに実をつけることができるかな。
(つづきはまた)
さくらんぼ

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最初の結婚のその後(おいたちより デンジャラス編)

                        
前置き:今回の話は少々ショッキングでデンジャラスな内容になっております。 これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら 前回の話はこちら 式は挙げず入籍のみ済ませ、結婚生活が始まった。 ふたり一緒に会社に出勤し、デスクも隣同士、仕事が終わったら一緒に帰宅する、そんな友達夫婦であった。 会社では同じ苗字だとややこしいので、それまでどおり旧姓で呼ばれていた。 夫は家に帰ると私のこ...
前置き:今回の話は少々ショッキングでデンジャラスな内容になっております。
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら
前回の話はこちら

式は挙げず入籍のみ済ませ、結婚生活が始まった。
ふたり一緒に会社に出勤し、デスクも隣同士、仕事が終わったら一緒に帰宅する、そんな友達夫婦であった。

会社では同じ苗字だとややこしいので、それまでどおり旧姓で呼ばれていた。
夫は家に帰ると私のことを「Sunちゃん」と呼んでくれた。しかし私は自宅でも夫のことをそれまでどおり苗字で「○○さん」と呼んでいた。(入籍したとはいえ、急に愛称やファーストネームで呼ぶのはとても恥ずかしくて出来なかった。今思うと笑えるのだが、なにせ手をつないだことさえなかったのだから。)

しばらくして夫が「結婚したのに間借り生活というのは男としてしめしがつかない」ということで新居を借り、そこに引越しした。

引越し後、荷物を整理していると押入れからケースに入った注射器が出てきた。「ん?なんでこんな物があるんだろう?」不思議に思った。
「押入れに注射器があったんだけど、あれは何?」夫に尋ねた。
夫は「栄養剤を自分で注射していたんだよ」と答えた。
「○○さんって、自分で注射が出来るの?すごいねー。」と素直に感心していた私であった。

新居には夫の親友がよく遊びに来ていた。
ある日、夫が不在時にその親友がやってきた。
「せっかく訪ねてきてくれたのにごめんなさいね」という私に、その親友が「奥さんにひとつ大切なことを伝えておくよ」と言って、話を始めた。話の中身は衝撃的なものだった。

雷


○○くんは覚せい剤をしていた。 僕はやめるよう説得していたけど、現在やめているのかどうか分からない。見つけたら、奥さんとして注意してやめさせてほしい。

そういう内容だった。
仕事が出来て、真面目で、とてもそんなことをするような人には見えない夫が…、と信じられなかった。
でも押し入れに注射器があった。親友の話は真実だろう。

私は夫に直接聞いた。
夫は「今はもう止めたよ」と答えた。
以前勤めていた会社の先輩が「全く疲れない良い薬があるんだ」と勧めてくれたのがキッカケだったという。
芸能人やチンピラが逮捕されたりという話はよく聞くが、まさか田舎街の、こんなに身近でそんなものが流通しているとは思いもよらなかった。

事実を知ってからも「もう止めた」という夫の言葉を信じようとしていた。
夫と覚せい剤というのが自分の頭の中でどうしても結びつかなかった。しだいに私は精神的に不安定になり、精神科の病院で診てもらうことになった。

それまで私が持っていた夫のイメージと、新たに知った夫のイメージがあまりにも相違しすぎているため、心の中がきちんと整理できなくなり精神的にたいへん危険な状態にある、今すぐ夫と離れて生活をするように、という診断だった。

結婚から一年後、私は離婚した。
同じ頃、友人たちは大学生活を満喫していた。
早々と離婚を経験した私は「なんだか私は地を這っている虫みたいだ…」と感じるほど、その時は相当落ち込んだ。

ふにゃ~ん それまでの私は「失敗したくない」「失敗は怖い」、と何事にも臆病で真面目一辺倒のカチコチ人間だった。しかし、離婚を機に私は変わった。
少し角がとれて人間が丸くなった。
こんな私を、家族は「ねえちゃんは頭の中のどこかのネジがぶっ飛んだ!ぶっ飛んで以前よりマシになったなー」と批評している。たしかにそうかも。(つづきはまた)

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初めての手術台

                        
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら 前回の話はこちら 私は1歳の時、大病を患って入院したことがあるそうだが当時の記憶は当然ない。 その私が離婚直後に、もの心ついてから初めての入院&手術を経験した。 扁桃腺切除の手術だった。 これよりさかのぼること数年前、やはり扁桃腺炎持ちの妹が切除手術した。その時、妹は街医者で局所麻酔で手術した。なので大した手術ではないだろう、とタカを...
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら 前回の話はこちら

私は1歳の時、大病を患って入院したことがあるそうだが当時の記憶は当然ない。
その私が離婚直後に、もの心ついてから初めての入院&手術を経験した。
扁桃腺切除の手術だった。

これよりさかのぼること数年前、やはり扁桃腺炎持ちの妹が切除手術した。その時、妹は街医者で局所麻酔で手術した。なので大した手術ではないだろう、とタカをくくっていた。
しかし私の時は「あまりの大きさなので全身麻酔で手術します。一度でとりきれず手術を二回することになるかもしれません。」と医者の説明。
大した手術になるらしい。
「手術を二回することになるかも」に大いにびびりながら手術当日を迎えた。

初めて入った手術室、
これがなんと、仮面ライダーで本郷猛が改造人間にされる一室とあまりに酷似しており、手術台の上でひとりで大ウケ。(おかげで手術の緊張はNothing)
「今から麻酔しますね」と言われた時、「悪の秘密結社のアジトそっくりのこの風景をもう少し観察していたい!」と、必死で眠らないようにがんばってみた。が、麻酔が効くのがことのほか早く、非常に残念であった。
手術は無事終わり、めでたいことに一回で全部切除できた!

手術室


入院中、私の入院手術を知った元夫が病室を訪ねてきた。
「何か困っていることがあったら助けるから言って」と言う。
一緒に働いている時からそういう優しさやマメさがある人だった。
「大丈夫です。ありがとう。」とお礼を伝えるも、相手に冷たく接したように記憶している。

話は変わるが、扁桃腺は当時はすぐに切除することが多かった。が、近頃は少し変わってきている。扁桃は体内に細菌が侵入するのを防ぐ免疫臓器のひとつでもあると分かってきたからだ。
しかし、「切ったら免疫が下がる」「切っても免疫は下がらない」と諸説存在しており、そのどちらかを明確に示すものは未だない。

私の場合、免疫が下がったとは特に感じていない。むしろ、風邪をひかなくなった。これが切除と直接関係しているのかどうかは不明だが、『バカは風邪ひかない』の見本みたいにほとんど風邪をひかなくなった。
あと、手術前はハードワークなどで体に無理を強いるとすぐに腫れたり高熱が出たりしていたが、これがなくなったのでその点はすごくよかった。体調や無理をしていないか?を計るバロメーターでもあったので、そのバロメーターがなくなったことは少し残念である。(無理はほどほどにすればいい話なのだが)

最近は、度々炎症を起こすことで他器官に影響を及ぼすおそれがある場合は積極的に切除し、それ以外においては手術のメリットとデメリットを考慮しケースバイケースで行われている。
ちなみに、今の私は看護師資格持ちなので、医学的なことなども折をふれて綴っていこうと思う。(つづきはまた)

備考:記事のタイトルをつけながら「初めてのお立ち台扇子 」という記事も書けそうだな、と思った。

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余命宣告

                        
おいたちを順を追って綴り、今は25年ほど昔の時点である。(やっとここまで来た。しかし歳をとったなぁ~) (これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら) ある日、母の友人から「(母が)食あたりと思える症状なので病院に連れて行った、そしたらすぐ入院になった」と連絡が入る。 その後、「ご家族で説明を聞きに来てください」と病院からの電話。 こども三人だけでは不安だろうと、母の姉(叔母)...
おいたちを順を追って綴り、今は25年ほど昔の時点である。(やっとここまで来た。しかし歳をとったなぁ~)
(これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」⇒こちら

ある日、母の友人から「(母が)食あたりと思える症状なので病院に連れて行った、そしたらすぐ入院になった」と連絡が入る。

その後、「ご家族で説明を聞きに来てください」と病院からの電話。
こども三人だけでは不安だろうと、母の姉(叔母)が遠くから飛行機に乗ってわざわざ来てくれた。一緒に医師の話を聞いた。

病室 「長くてあと3ヵ月です。」
医師がそう言った。

「ひとくちに癌といっても色々な種類の癌があるのだが、その中でも特にタチが悪い癌におかされている」ということだった。

「胃をほとんど全部切ることになりますが手術しますか?」という医師の言葉に、「手術してください!」と私たちきょうだいと叔母はハモって答えていた。
叔母は「ええ、胃の全部でも構いません、腸まで切ってもいいです。とにかく切れるだけ切ってください!」と医師に強く頼んでいた。

最近は治療を乗り越える上で本人の意思も必要ということで、本人告知されるようになってきたが、当時は本人に内緒にしておくことが多かった。
告知についてきょうだいで話し合い「本人に知らせるのはやめておこう」ということになった。
しかし母は「自分は癌じゃないのか?」と何度も何度もひつこく聞いてきた。
「違うよ」、私たちは必死でかくそうとしていたが、母は「自分は癌だ」と思っていたそうだ。

後に分かったことだが、これより半年ほど前、母が腹部を押さえて痛がるのを何人かの知り合いが目撃していた。病院に行くよう勧めたが「ただの胃痛だから」と答えていたそうだ。
その後、職場の健康診断(バリウム透視)でひっかかり、「要精密検査」の結果が出ていたにも関わらず、仕事と生活に追われて病院に行くことはなく、そのままほったらかしになっていた。(母はとにかく病院嫌いである。)

顕微鏡 手術で胃の入り口から出口まで全部切除した。
切除した胃の病巣を顕微鏡で見せてくれた。病巣はわずか1cm四方、その1cm四方の中にいくつかの転移が見られた。

「スキルスという癌です。あと一週間遅かったら、胃の中にとどまらず周囲に転移していたでしょう。余分と思えるほど切除して正解でした。お母さん、きっと助かりますよ。今後5年間様子を見て、再発・転移がなければ大丈夫でしょう」そういう説明だった。
もし助かっていなかったら、病名も知らぬまま本人が何の準備も出来ずまま旅立つというのはどうだろう?あとになってそう思った。(それまではそこまで考える余裕はなかった。)
しかし母は遺言状や生命保険の証書やら、ちゃんと整理し準備してあった。

その後再発することなく10年経過したとき、癌であったと母に明かした。
「やっぱりねー。絶対そうだと思っていた。しかしあんたたち、かくすのが上手かったわ」と母は笑った。
当時はみんな泣くのを必死に我慢しながら母に付き添い、病室から出るとすぐに泣いていた。

余命3ヵ月とはいったいなんだったのか。
たまたまであったにせよ、こういったこともあるのかと驚いた。
99%だめであったとしても1%でもいい、助かってほしい、とその時は思っていた。
まさかそれが現実になるとは。

病院嫌いの母を無理やり病院に連れて行ってくれた母の友人、切れるだけ切って下さい!と医師に頼んでくれた叔母、早急に発見し執刀してくれた医師、病院。

人の命にかぎったことでなく、日常の大したことがない事柄においても、そのひとつひとつが絡み合って奇跡は起こりうる。
私はそんな風に思えるのであった。(つづきはまた)四つ葉







(photos by photoAC)

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出稼ぎ・前編 (おいたちより)

                        
離婚後、職業安定所に通い仕事を探していた。 当時はバブル期、働き手が足りない時代。職安の出口近くには無料配布の求人がワンサカと配布・掲示されていた。 ある日私はその中のひとつに目をとめた。 「大手企業で働きませんか?冷暖房完備個室!給料〇万!赴任旅費支給!」 このような仕事でお金を貯めて起業した友人が居た。 私も友人のようにひと稼ぎしよう!とチラシに書かれた面接場所へ向かった。 そこは普通のマン...
離婚後、職業安定所に通い仕事を探していた。
当時はバブル期、働き手が足りない時代。職安の出口近くには無料配布の求人がワンサカと配布・掲示されていた。
ある日私はその中のひとつに目をとめた。

「大手企業で働きませんか?冷暖房完備個室!給料〇万!赴任旅費支給!」
このような仕事でお金を貯めて起業した友人が居た。
私も友人のようにひと稼ぎしよう!とチラシに書かれた面接場所へ向かった。
そこは普通のマンションの一室、「赴任旅費は企業もち、生活用品は揃っているので体ひとつでいい」、そういう説明であった。そして即採用となった。

出稼ぎの地に着いた。大きなビルに案内される。
大きなビルだが看板や社名の表記が一切ない。ちょっと違和感を感じた。
ビル横の駐車場に黒塗りの高級外車がいっぱい駐車してあった。

会社のお偉い方々に挨拶してください、ということでビルの最上階へ。
最上階はワンフロアになっておりめちゃくちゃ広い。そしてとんでもなくでかい黒い皮張りのソファー。大股開きでソファーに座っているおじさんたちに挨拶する。葉巻を手に持たせたらマフィア映画に出てきそうなおじさんたち。
まるで任侠映画の一場面みたいな光景だった。

「ここが寝るところです」と案内された部屋は、そのビルの一室であった。
壁に沿って2段ベットが並べてありメチャクチャ狭い。冷暖房完備個室!どころか、「タコ部屋」であった。

夜になり寝床に就く前に部屋の住人による座談会が始まった。
狭い部屋に大勢押し込まれているため、尻ひとつ分しか居場所がない。おしくらまんじゅう状態での座談であった。

おしくらまんじゅう

北は北海道、南は沖縄と色々な所からやってきていた。
「ここに来たからといって仕事はすぐにはないんだよ。仕事が見つかるまでは待機しなければならず、その間の生活費をここから借金するんだよ」という。
「故郷に帰りたいが帰る旅費がない。借金があるためここで働き続けるしかないんです…」と口々にこぼしている。

またある人は「昨夜酒乱の夫から逃げて素足で家を飛び出し、駅でチラシを見つけて面接を受け、裸足のままここに来ました…」と話し、「雪深い地方では冬の間は仕事があまりないため出稼ぎ目的でやってきました。」という人も居た。

そして、「ここを逃げ出してパチンコ屋の住み込み店員になった人も結構居るよ」
…などなど、ビックリ仰天の話のオンパレードであった。

その夜、寝ようと思い布団に入るが体がチカチカして寝られない。
布団を干すような窓もないビルの一室。おそらく万年床なのだろう。
チカチカするのは大量のダニに噛み付かれ吸血されていたからだと思われ。
ほとんど一睡もできなかった…。
初日から全てが「信じられな~い」という一日だった。
それとともに「とんでない所に来てしまったのかもしれない…」という思いが頭によぎっていた。(つづきは次回 後編で)

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出稼ぎ・後編 (おいたちより)

                        
前編はこちら 出稼ぎの地に着いたが初日から「信じられな~い」の連続。 翌朝廊下を歩いていると、たくさんある部屋の壁の向こう側から「〇×▲※☆…!」「☆※☆〇×…!」と聞いたことがない国の会話が聞こえてくる。あらゆる国の人がここに居るのか?と思えるくらい色んな言語。 当時、違法就労が結構問題になっていたが「これは相当ヤバイ所にきてしまったのでは?」と思った。 その日の夜の入浴、「生活用品は揃っているので体...
前編はこちら

出稼ぎの地に着いたが初日から「信じられな~い」の連続。
翌朝廊下を歩いていると、たくさんある部屋の壁の向こう側から「〇×▲※☆…!」「☆※☆〇×…!」と聞いたことがない国の会話が聞こえてくる。あらゆる国の人がここに居るのか?と思えるくらい色んな言語。
当時、違法就労が結構問題になっていたが「これは相当ヤバイ所にきてしまったのでは?」と思った。

その日の夜の入浴、「生活用品は揃っているので体ひとつでいい」という面接時の説明に従い、本当に体ひとつで来てしまった私は早速この組織からタオル、石鹸、シャンプー、洗面器を購入。(生活備品は全てここで購入、電気代、水道代、食事代etcは借金、もしくは給料天引きという形。)

ゆ 浴場に行くと浴槽がふたつあった。「こっちが日本人用の浴槽で、むこうは外国人用の浴槽よ」と同じ部屋の先輩が教えてくれる。
入浴しているとお肌が黄、白、黒、あらゆるお国の方々が浴場に訪れる。しかも皆さん、超ビビッドでカラフルなビキニとパンティーをつけたままのシャワー浴。
え?外国の方々は下着をつけたままお風呂に入るん?と驚く。(水着だったのかもしれない。)日本人のように浴槽につかる人は居なかった。

一週間たっても「待機」ということで仕事に就かせてもらえず、手持ちのお金がわずかになってきた。
働いている人はというと、朝の4時頃から働き、夜の12時を回ってもまだ働いていることもあった。さぞかし儲かるのでは?と聞くと、「何年も働いてきたが毎月ここでの生活費を支払うと残りはない。貯金は全く出来ない。故郷に帰りたくても帰れない」と言う。
「何とか早くここから抜け出さなければ…」と思った。
しかし帰りの旅費はない。行きの旅費も借金の一部に充てられている。

私を面接した担当者に公衆電話から電話する。(当時携帯電話はまだない。)
「話が全く違うんですが、どういうことですか?」と尋ねても、「私にそのようなことを言われましても…」と担当者は知らぬ存ぜぬの一点張りでお話にならなかった。
その後、半泣きで母に電話した。「そう言われてもねぇ…。そんな大金(行き帰りの旅費)はうちにはないし…、困ったわねぇ…」とそれだけであった。

=脱出=
なんとかしなければならない、しかしどうすればよいものか…。
母との電話を切ったあと、私は中学校の頃からのペンフレンドに電話した。そして現状を伝えた。
「すぐにそこを出て!帰りの旅費はこっちで用意する。近くに○○駅があるからそこへ行って。こちらもそこへ向かうから」 こうして駅でおちあう約束をした。

いよいよ脱出である。
しかしアホで律儀な私は「黙って逃げるのはよくない」と思い、ビル最上階の部屋に挨拶にいった。
ノックしてドアを開け、ただ一言「辞めます!」と告げるとくるりと背を向け、そのあとは後ろをふり返らずにとにかくダッシュで走った。
背中で「おい、待て、こらぁ!」とか聞こえた。けど、とにかく一目散で走った。(挨拶ではなく逃亡である。)
ビルを出てからも後ろを振り返らずとにかく走った。約束の駅までとにかく走った。

走る


ペンフレンドは新幹線に乗って約束の駅に来てくれていた。
帰りの切符を彼からもらった。私は西行きの新幹線、彼は東行きの新幹線、互いに帰路についた。
こうして私は帰郷することができたのだった。

この出稼ぎ騒動は、当時の社会の裏側を垣間見たような経験、出来事であった。

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Sun、「ナンパに遭う」の巻

                        
これまでのおいたちはカテゴリー「はじまりとおいたち」にあります。 昔、知り合いの知り合いの保険セールスレディに「ある人と会うだけ会ってほしい」と頼まれた。 その人は「保険に入ってくれたら女の子を紹介する」という約束で独身男性から契約をとり、その際に私のことを紹介したという。 いい年にもかかわらず男っ気が全くない私に「よかれと思ってそうした」というのだが、そのセールスレディとは数回話をした程度の付...
これまでのおいたちはカテゴリー「はじまりとおいたち」にあります。

昔、知り合いの知り合いの保険セールスレディに「ある人と会うだけ会ってほしい」と頼まれた。
その人は「保険に入ってくれたら女の子を紹介する」という約束で独身男性から契約をとり、その際に私のことを紹介したという。
いい年にもかかわらず男っ気が全くない私に「よかれと思ってそうした」というのだが、そのセールスレディとは数回話をした程度の付き合いであり、あまりの強引さにドン引きであった。

「誰とも付き合う気はないので」とお断りしたが、それからは毎日職場にまでやってきて「おねがいっ、一回だけ会ってくれたらいいの!場所と日時も約束済みなの。あなたに行ってもらわない困るの!」という。
そう言われても私も困る…。
(あとで知ったのだが保険を早期解約されると担当者にはペナルティがつく。しばらくのあいだ毎月の給料から結構な額を天引きされるのだが、このセールスレディはなんとかそれを回避したかったのだと思う。)

さて、今の私はキャッチセールスだろうが電話勧誘だろうが、どんなにひつこいセールスでもなんなく撃退することができる。
でも、当時の私はその正反対、相手の押しにはめっぽう弱い人間であった。

結局「誰とも付き合う気はないこと、頼まれて一回だけ会うこと、これを相手にきちんと伝え、セ-ルスレディも同席で」ということなら、とセールスレディに降参した。

今昔
「誰とも付き合う気はない。頼まれて一回だけ会う」と聞けば相手の人も私と会おうとはしないだろう、そう思ったのだがそれは甘かった。
予想を反し、一回だけ会うことになってしまった。

しかも相手にずいぶん気に入られてしまう。(こんなことなら目の前でとんでもなく下品なこと、嫌われるようなことをワザとやるべきであった、と後で反省する。)
「ごめんなさい、お伝えしてあったように誰ともお付き合いする気はないんです。」と相手の人に何度もハッキリと伝えて帰宅した。

しかし後日、なんとその人が私のアルバイト先(レンタルビデオ屋)にやってきた。(セールスレディは私のバイト先まで相手に教えてしまっていた。)
それからは連日に渡りレンタルカウンターにへばりつかれ「ねぇ、付き合って~!」と口説かれる。

しかも手に持つビデオはアダルトビデオ。口説く時にそれはないだろ~っ!と思いつつ、「誰とも付き合う気はないんです」と平然とレジ作業を済ませお帰りいただく。

カウンター


それからも連日にわたってアダルトビデオを手に「付き合って~!」とカウンターにへばりつき。
「お話したとおり誰とも付き合う気はないんです」とくり返し伝え続け、やっとのことでナンパから逃れた。その人はもうやって来なくなった。
この間約一ヶ月、あまりのしつこさにバイト仲間もびっくりであった。
私もびっくりであった。

それにしても、同じセールスレディでも生命保険の話に登場した勤続25年のあのおばちゃんとは大違いであったことは言うまでもない。

<ピン・ポン・パン・ポン♪♪>
今回の話、ずっ~と先々に、思いもよらない所でリンクします。
以上未来予告!
<ピン・ポン・パン・ポン♪♪>

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婚約(おいたちより)

                        
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。 前回の話は「出稼ぎ・前編」「出稼ぎ・後編」をご覧ください。 20代前半に結婚で失敗し、その後は「一生ひとり身で生きていこう」と思い始めていた20代後半。 中学生以来ずっと続いてきた文通は、時を経たその頃も変わらず続いていた。 そして、先の出稼ぎ騒動ではペンフレンドの彼によって私は救われた。 10年以上の時を費やし、彼は誰よりも私のことを...
これまでのおいたちはカテゴリ「はじまりとおいたち」にあります。 前回の話は「出稼ぎ・前編」「出稼ぎ・後編」をご覧ください。
20代前半に結婚で失敗し、その後は「一生ひとり身で生きていこう」と思い始めていた20代後半。
中学生以来ずっと続いてきた文通は、時を経たその頃も変わらず続いていた。
そして、先の出稼ぎ騒動ではペンフレンドの彼によって私は救われた。

10年以上の時を費やし、彼は誰よりも私のことを良く知り、私のことを深く理解してくれていたことに気付く。

後に彼が、姓が違う私から届いた手紙(内容は「結婚しました!」という報告)を受け取ったときの驚きと衝撃について話してくれた。
私がバツイチであるにも関わらず彼の親御さんが「Sunちゃんを助けてあげなさい」と彼に言ってくださっていることも話してくれた。

それまでずいぶん遠回りをしてきたけれど、彼と私は婚約した。

婚約前、婚約中のお付き合いは新幹線や飛行機で移動しなければならないほど離れた距離であり、遠距離恋愛だった。
当時TVでは「僕は死にましぇん!」という台詞で有名な『101回目のプロポーズ』、中山美穂さんと大鶴義丹さん共演の『逢いたい時にあなたはいない…』というドラマが放映されていた。

改札

また、JR東海のCMでは「あなたが会いたい人も、きっとあなたに会いたい」というキャッチフレーズで、遠距離恋愛の恋人たちが描かれていた。あのCMみたいに、毎回改札口や搭乗ロビーでうれし泣き、かなし泣き。
まるでドラマやCMを地でいくような、すてきな恋愛期間だった。

この時、数年以上会っていなかった私の父にふたりで会いに行った。
婚約を伝えると父はとても喜んでいた。

6月に結婚、彼の元に引越して、晴れて一緒に居られるようになる予定であった。(つづきは次回)
イメージ (photos by photoAC)

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マリッジブルー(おいたちより)

                        
前回の話はこちら 結婚を一ヶ月後に控えた頃、私はマリッジブルーに陥ってしまう。 このときの自分の心境を言葉で表すのはむずかしく、自身のことでありながら何故そのような状態に陥ってしまったのか自分でもよく理解できず、よって細かい心情などもよく覚えていない。 とにかくその時はなにかしら不安で不安でならなかった。 会いたい時にすぐに会えなかったことも不安の一因かもしれないが、それだけではなく、とにかく...
前回の話はこちら

結婚を一ヶ月後に控えた頃、私はマリッジブルーに陥ってしまう。
このときの自分の心境を言葉で表すのはむずかしく、自身のことでありながら何故そのような状態に陥ってしまったのか自分でもよく理解できず、よって細かい心情などもよく覚えていない。
とにかくその時はなにかしら不安で不安でならなかった。

会いたい時にすぐに会えなかったことも不安の一因かもしれないが、それだけではなく、とにかく何もかにもが不安で不安でならない、そんな感じだった。

その気持ちはどんどん大きくなった。
そして、結婚が本当に目前となった時、とうとう婚約破棄にまで至ってしまった。

花束 青


彼は「結婚をするためには自分は今いったい何が出来るんだ?」と考え抜いた末、それまで勤めていた職場を辞め、私が住む町にやってきた。
「勤め先も住むところも見つけた、一緒に住もう」と。
にも関わらず、当時の私は彼のその行動がとんでもない考えなしに思えてしまい、やっとの思いで訪ねてきた彼を冷たく突き離した。

そこまで思い、そこまでしてくれる人は居ない。
でもその時の私はそれが分からなかった。

その後、何度か彼の元を訪ねようとした。
しかし彼をはじめとして彼のご両親、周囲の方々に対し合わす顔もないほどひどいことをしてしまったことを思うと、「今さらあまりにもムシがよすぎる、むしろ迷惑かもしれない…」と思い、会いに行くことは出来なかった。
それからは同じ町に住んでいるにも関わらず、彼と私の距離は宇宙のはるか彼方の星と地球よりもっと遠くに離れてしまった。偶然出会うこともなかった。

「一生結婚せずにひとりで生きていこう」、またそう思うようになった。
ムシがよすぎる話だが、心の奥底では、いつかまたどこかで運命の糸がつながらないだろうか…、そんなことを望んでいた。
あの日が来るまではそう望んでいた。(続きはまた)

マリッジブルー ********************************************** それまでにその言葉を聞いたことはあった。
でもそれに陥ってしまうとは思いもよらなかった。
後に知ったのだが、人は変化を望む一方で、変化を怖れる。そのため結婚という大きな変化を前にしてマリッジブルーに陥ってしまうことがあるそうだ。

男女を問わず結婚間近のカップルに伝えたい。
無きにこしたことはないが、式直前にこういった心の変化も起こりうる。
そう知っておくことでマリッジブルーを撃退できるであろうから。
************************************************************

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少しだけ親子水入らず(おいたちより)

                        
前回の話はこちら 婚約破棄のあとすっかり落ち込んだ私は、お父さんに会いたいと思った。 そして思いたったように各駅停車の鈍行列車に乗り、何時間もかけて父を訪ねた。 着いてすぐ「結婚はだめになってしまった、だめにしてしまった」と伝えた。 「あの子は好青年だったからお父さんは残念だよ。それよりお前は大丈夫か?」 突然訪ねてきた私を心配に思ったのだろう。 「ゆっくり過ごすといい。夜に一緒に飲み行こう」...
前回の話はこちら

婚約破棄のあとすっかり落ち込んだ私は、お父さんに会いたいと思った。
そして思いたったように各駅停車の鈍行列車に乗り、何時間もかけて父を訪ねた。

着いてすぐ「結婚はだめになってしまった、だめにしてしまった」と伝えた。
「あの子は好青年だったからお父さんは残念だよ。それよりお前は大丈夫か?」
突然訪ねてきた私を心配に思ったのだろう。
「ゆっくり過ごすといい。夜に一緒に飲み行こう」、そう言った。
父と一緒に夜の街に飲みに行ったのは、このときが最初であり、最後であった。

婚約の報告をしに来たのはこの時よりちょうど一年くらい前のことだが、その時より父はとてもちっちゃく(小さく)見えた。歳をとったんだな~と思った。
父が小さく見えた、小さくなったのは見かけだけではない。

父は昔からずっと缶ピースを吸っていたが、マイルドセブン1mgに変わっていた。
うちではいつも星一徹やバカボンパパみたいに、パッチ姿であったが、今度のうちではちゃんと服を着ている。パッチの方が風格があり大きく見えていたので小さく見えた。しかしこれはあくまでも私の主観だ。
パッチの話は別として、以前はいかにも家長という風格があったが、今やその面影は全くなくなっていた。父はちっちゃいおじさん、になっていた。(ちなみに兵庫県尼崎市非公認ご当地キャラクターは「ちっちゃいおっさん」である。)

はいざら 父宅の灰皿は飯場や大衆食堂でよくみかけるアルマイトの灰皿だった。一般家庭ではあまり見かけない。
灰皿を見て目を白黒させている私に父嫁(以下嫁と略)が「一度灰皿で殴られたので、うちではこれしか置かないことにしてあります」と言った。
殴った父は確かに悪い。しかし客人の前でもこの灰皿というのはいかがなものか。
父に格好悪い思いをさせないように、と母ならちゃんとした灰皿も用意するだろう。
その昔、母は「殴られますよ」とあなたにちゃんと説明をしていたではないか。私はそんなことを思い出していた。

しばらくして、嫁が私の目の前に子供二人を連れて来た。そして「この人はあなたのお姉さんよ。これから先、あなたたちに困ったことがあったら、真っ先にこのお姉ちゃんを訪ねて頼るのよ」と言っている。そして「これにあなたの住所と電話番号を書いて」と紙とボールペンを渡された。
なんだか寒気がした。背筋がゾ~ッとしてとトリハダが立った。

確かに戸籍上はきょうだいだが、上の子とは血のつながりはない。
下の子は大きくなっていたが父に似てないどころか、嫁の前夫と瓜ふたつだ。
家庭を壊した女性の子供に先々頼って来られてもこちらとしては困る。それが正直な気持ちだった。

ちなみに、戸籍謄本では私は父と母の間に生まれた「長女」、上の子は父と養子縁組をした「長女」、下の子は父と嫁の間に生まれた「長女」と記載されている。
ひとつの戸籍の中に長女が3人いるという少々レアな戸籍だ。(日本の戸籍制度はおかしな制度だとつくづく思う。)

帰る時、父が車を運転し駅まで送ってくれ、少しだけ親子水入らずで話が出来た。
お父さんは「お母さんのことが本当に大好きだった、今でも好きでお母さんにヨリを戻してもらえないかと会いに行ったけど、お母さんから「帰れ!」と言われて帰ったんだ」と話してくれた。母からはそんなことがあったとは聞いていなかった。
そして「おばはん(嫁)には騙された…」とずっとこぼしていた。

お父さん大丈夫かな?
ちょっと心配に思った。
(この予感はその後まもなくして的中する。)

帰りの列車はお父さんが特急券を買ってくれた。
婚約破棄後で傷心で出掛けたが、行きの鈍行列車と帰りの特急ではちょっとしたプチ旅行気分も味わえた。
お父さんとも話が出来たし良かった。(つづきは次回)

しゃそう

(photos by photoAC)

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父は何処に?(おいたちより)

                        
前回の話はこちら 少しだけ親子水入らずでお父さんと話をした際、 お父さん大丈夫かな?とちょっと心配に思ったのだがその予感は的中した。 ある日、父から一本の電話があったのだが、それ以降、父とは全く連絡がつかなくなってしまったのだ。 「おばはん(嫁)と別れたい」「お母さんの所に帰りたい」、そういって私に電話をしてきたのが最後だった。 電話の内容は、父の給料が振り込まれているキャッシュカード、通...
前回の話はこちら

少しだけ親子水入らずでお父さんと話をした際、
お父さん大丈夫かな?とちょっと心配に思ったのだがその予感は的中した。

ある日、父から一本の電話があったのだが、それ以降、父とは全く連絡がつかなくなってしまったのだ。

「おばはん(嫁)と別れたい」「お母さんの所に帰りたい」、そういって私に電話をしてきたのが最後だった。

電話の内容は、
父の給料が振り込まれているキャッシュカード、通帳、現金、それらを嫁が持ち出し子供も連れて居なくなったということだった。
「だったら別れられるやん。よかったね」と私が言うと、出て行った嫁は「籍は絶対に抜きませんから」と言っている、という。
父が働いた給料は毎月嫁の手元に入り、今や父の手持ち金は300円。昨日から何も食べてない、と言う。
電話口の父は「みんなのところ(私たち家族の元)へ帰りたい」と言っていた。

…、先日父から聞いた”父が母とヨリを戻そうとして母に会いにいった件”について、後日私は母に確認し詳しい話を聞いていた。
母は「以前のお父さんは堂々として男らしかったけど、会いに来た時はしょぼくれてくたびれた男になってしまっていた。そんな姿を見ると情けなくて仕方がなかった。だからお父さんに「しっかりしなさいよ!そんな風にしょぼくれたあなたなど見たくもないわ!さっさと帰って!!」と言って追い返した」ということだった。

父母
「ヨリを戻す気はないの?」と母に聞いてみたが、「以前のように堂々として立派なお父さんなら考えただろうけど、あの様子じゃ無理。お父さんとヨリを戻すことはない。」と母は答えた。
だからお父さんがいくら戻りたがってもそれはもう無理だ…。

「みんなの元に帰りたい」と言う父に対し、酷だけど「私はお父さんとお母さんのヨリが戻るのを望んでいるけど、お母さんとのことは今となってはどうしようもないよ…」そう伝えた。
私が父に伝えることができたのはそれだけだった。

それを聞いて父は「俺が馬鹿だった…」と電話口で何度も何度も言った。

私は自分が食べるのが精一杯で父を助けてあげる余裕はない。
それと「父に深入りするのはやめておけ!」といつも妹たちから注意をうけていた。

妹たちは「お父さんはわたしたちに何もしてくれなかった。お母さんは今までひとりで私たちを必死で育ててきてくれた。そんなお父さんと連絡を取り合うなんて、お母さんがかわいそうでしょ!!」といつも言っていた。
確かにそれは一理あるかもしれないが、それでもやっぱりお父さんは何があってもお父さんであることに変わりはない。
妹たちは私の思いを汲み、「お母さんに目立たないようにするのなら」を条件に、父と連絡を取り合うのは大目にみてくれていた。
そんなこともあり、私は父に手を差しのべてあげることはできなかった。

だからこの時の父からの電話も「おばはん、そのうちに戻ってくるよ」と最後は軽く受け流して電話を切ったのだった。
そしてこれが直近では最後の父からの音信となった。

後日、父宅に電話すると嫁と子らは家に戻ってきていた。
しかし父はどこに居るのか知らない、と言う。
父の家族は慌てるでもなく、心配するでもなく、「さぁ、どこに居るのか知りません」と繰り返すだけだった。

以降、父はどこにいるのか、生きているのか、死んでいるのか、それすら分からなくなってしまった。

よよよ …その後、5年の歳月が流れても父の消息は分からないままだった。
父を見つけるには「長い間生き別れていた家族が番組内で再会を果たすというテレビ公開捜査」くらいしかないんじゃないか?ということになり応募もしてみた。
しかし私以外の家族(妹・母)はみんな「顔出しはNG!」と希望していたので、番組では取り扱ってもらえなかった。

父はいったい何処に…?
(つづきはまた)

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ペンフレンドとの再会(おいたちより)

                        
以前の話はこちら かつてのペンフレンド、婚約者でもあった彼と、同じまちに住みながら偶然に出会うこともなく、突然の婚約破棄から数年経た。 毎回彼を飛行場で送迎していた時刻になると空から轟く飛行機のジェット音。 他の便は気づかない、聞こえないのに、あれから何年たっても始発便と最終便の音は気付く、聞こえてくる。そして涙する。 歳は30代を越えたが、ずっと変わらないままの私だった。 そんなある日、まち...
以前の話はこちら

かつてのペンフレンド、婚約者でもあった彼と、同じまちに住みながら偶然に出会うこともなく、突然の婚約破棄から数年経た。

毎回彼を飛行場で送迎していた時刻になると空から轟く飛行機のジェット音。
他の便は気づかない、聞こえないのに、あれから何年たっても始発便と最終便の音は気付く、聞こえてくる。そして涙する。
歳は30代を越えたが、ずっと変わらないままの私だった。

そんなある日、まちで偶然彼と出会った。

開口一番「結婚したんだよね?」という言葉にちょっと驚いた。
「結婚していない」私が答えると、彼は驚いていた様子だった。
突然婚約を破棄したのは他の人と結婚するため…、彼はそのように感じていたのかもしれない。そうではなかったが、そう思われていたとしても仕方がない。

プツッ 彼は「結婚した」ということだった。
あれから数年、本当にムシがよすぎることだけれど、心の奥では運命の糸がどこかでまたつながることを願う自分がいたので、正直とてもショックだった。

もう運命の糸は切れてしまったんだ… … …

一生ひとりで生きていこう、と今まで張りつめてきていた心の糸がプツッと切れた。

ほんの短い立ち話だった。

彼が幸せにやっているのなら、私も自分が幸せになることを考えてもいいよね?!…私は神さまに問いかけていた。

私は彼に対し「これ以上のことはない」というほどヒドイことをした。
だから彼の結婚を、彼のしあわせを、心の底からよろこんでお祝いすべきなのに、なのに、こともあろうことか私の心には「私だってしあわせになってみせるんだ!」という妙な競争心と、妙な意気込みがこのとき芽生え始めていた。

そしてこの競争心と意気込みは、それから後にとんでもないところまで発展する。(つづきはまた)

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再婚(おいたちより)

                        
前回の話はこちら ペンフレンドの彼との再会から二ヶ月ほどたったある日のこと。 なにげに暇つぶしで行っていたパチンコ屋さんでいきなりフィーバーした。 しかし、フィーバーしている最中に落雷があり、パチンコ台の電源が落ちた。そして「電源が回復するまで今しばらくお待ちください。」という館内放送。 店内にはもうひとりフィーバー中の男性が居た。パチンコ店の店員のおじさんがそのフィーバー中の男性を連れて...
前回の話はこちら

ペンフレンドの彼との再会から二ヶ月ほどたったある日のこと。
なにげに暇つぶしで行っていたパチンコ屋さんでいきなりフィーバーした。
フィーバー
しかし、フィーバーしている最中に落雷があり、パチンコ台の電源が落ちた。そして「電源が回復するまで今しばらくお待ちください。」という館内放送。

店内にはもうひとりフィーバー中の男性が居た。パチンコ店の店員のおじさんがそのフィーバー中の男性を連れてきて「この人と一緒にとなりの喫茶店でお茶して時間をつぶしておいで」と言う。「お互いに歳の頃もそう変わらず話も合うだろう」という店員のおじさんの気遣いであった。

店員にすすめられるがまま、となりの喫茶店でお茶していると、その人が「最近免許証入りのカバンを紛失した。免許証を再発行してもらうため免許センターに行かないといけないのだが、免許証を持っていないので車を運転できない。会って初めての人にこんなことを頼むのは失礼だが、免許センターまで送ってもらえないだろうか?」と言う。

自分で言うのもなんだが私は気がいい性格で、困っていると聞けば「お役に立てることがあるのなら…」と動いてしまう性分である。
このときも相手が「困っている」というのを聞いて、そのお役目を引き受けることにした。

免許センターに着いた。
相手が申請用紙に記入し終えるのを真横で待っていた。
名前○○…
生年月日…

うわっ、なんという偶然。
誕生日、私とおなんなじ日だ…

たまたまパチンコ店で同時にフィーバーし、落雷があり、お茶しに行って、でもってこの人と誕生日が同じ?!

運命 これって運命と違う???
アホな私はここで「運命」みたいなものを感じてしまっていた。
つい二ヶ月前に切れた運命の糸は本当の運命の糸ではなくて、もしかしたらこれが本当の運命の糸???とか、今思うと本当にアホのとおりであるのだが、その時の私は本当にそんな感じだった。


それから二ヵ月後、パチンコ店で出会ったこの人間と「結婚する」と宣言したら家族は大反対した。家族だけでなく周囲も大反対であった。
いくら周りが忠告、反対しても当時の私は反対すればするほど「火に油を注ぐ」ような状態であったという。
母もしまいには「これだけ言っても分からないのなら勝手にしなさい!結婚するのなら勘当します!二度と実家の敷居はまたぐな!それでもよかったら勝手になさい! 」と言ったのだった。(まるで母と父の結婚時と同じ)

みんなが反対した理由は様々だったのだが、全員一致していたのは「出会いの場がパチンコ屋であったこと」「あの男は結婚しても家庭に落ち着くタイプではない」ということであった。

それでも私は周囲の反対を押しのけて結婚したのだった。
互いの誕生日に入籍し、出会ってから4ヶ月しかたっていない時点で結婚した。
ペンフレンドの彼と再会して半年後のことだった。
三十路を過ぎていた焦りと、ペンフレンドの彼に対する競争心みたいなものもあった。

この人と結婚したら幸せになれるかもしれない、
でも、もしかしたらものすごく不幸になるかもしれない、
両方の思いがあった。
ある意味、「賭け」であった。(つづきはまた)

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思いもよらぬリンク(おいたちより)

                        
前回の話はこちら 結婚してまもなくのことだった。 夫と共に外出中、昔私がアルバイトしていたビデオ屋さんの前を通りかかった。 ビデオ屋さんがあった場所は更地になっていた。 「ここに昔ビデオ屋さんがあったんだよ。私、そこでアルバイトしていたんだ」 そう言った瞬間、夫が「知ってるよ。」と言った。 「あ、そうなんだ、知ってたんだ。」 そう言ったとき夫が、 「何度も何度も付き合って~!って言ったのに断...
前回の話はこちら

結婚してまもなくのことだった。
夫と共に外出中、昔私がアルバイトしていたビデオ屋さんの前を通りかかった。
ビデオ屋さんがあった場所は更地になっていた。

「ここに昔ビデオ屋さんがあったんだよ。私、そこでアルバイトしていたんだ」
そう言った瞬間、夫が「知ってるよ。」と言った。
「あ、そうなんだ、知ってたんだ。」
そう言ったとき夫が、
「何度も何度も付き合って~!って言ったのに断わり続けられたからね。」
と言ったのでビックリ仰天した。

しかし驚いたのはそれだけではなかった。
次に夫の口から出たのは「○○珈琲店で働いていたでしょ。それも知ってる」と言う。
「え?なんで?」
「俺、昔そこで働いていたから。Sunは気づいてなかったけど、一度店に(金を借りに)行ったとき、Sunを見かけたよ」
… …


夫の苗字は●●、
誕生日が同じ
それに、あのアダルトビデオ片手にひつこく口説いてきたのが今の夫…、

ここですべてがつながった、リンクした。

リンク


私はそれまでに全く気づかなかった。
私がビデオ屋でアルバイトしていたのは10年ほど昔のことだ。
10年前、レンタルビデオを片手にひつこく口説いてきた男は短髪だった。
10年後、目の前にいる夫は武田鉄也みたいなロン毛だ。
はっきり言って10年前のビデオ男の顔などまったく覚えていない。

私は全く気付いていなかった…。
しかし夫は、パチンコ屋で私と出会った時から気づいていた、全て知っていた、という。
もし私がこの事実に気付いていたら結婚はしなかっただろう。
結婚するまでこの事実を明かさなかった夫はある意味、知能犯だと思った。

こうして、めでたくも夫婦となった私と、誕生日が同じ日のろくでなしの●●。
これから後のSunの運命やいかに。(つづきはまた)

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長き入院生活

                        
前回の話はこちら 結婚してすぐに妊娠した。(下品な表現だが一発命中であった。) 産科医から最初に聞いたのは「おめでとうございます」ではなく、「残念ですが…」という言葉だった。 「赤ちゃん(正確にはまだ人間の形でなく卵の状態)は、子宮の壁にかろうじてひっかかっている状態であり、おそらく流産する」ということであった。 そういうことであったのだが、なんとも運よく流産はまぬがれた。(なんだかんだいって...
前回の話はこちら

結婚してすぐに妊娠した。(下品な表現だが一発命中であった。)
産科医から最初に聞いたのは「おめでとうございます」ではなく、「残念ですが…」という言葉だった。
「赤ちゃん(正確にはまだ人間の形でなく卵の状態)は、子宮の壁にかろうじてひっかかっている状態であり、おそらく流産する」ということであった。

そういうことであったのだが、なんとも運よく流産はまぬがれた。(なんだかんだいって、私は男運は最悪だがその他の運は相当良いと周囲からよく言われる。自分でもそう思う。しかし宝くじはなぜか当たらない。でも、私よりもお腹の中の子どもの方が強運を持っていたのかもしれない。)

初期の流産はなんとか免れたが、常にいつ流産してもおかしくない状態で、流産したら母体即死の危険性がある、ということで、妊娠早期から入院しなければならなくなった。
高度な医療を対象とした周産期母子医療センターでの入院だった。

点滴 出産までの間、ウテメリンという子宮の収縮を抑える薬を持続点滴(たえまなく点滴を続ける)、歩行は禁止、トイレ以外は常にベット上で過ごす生活。 自由に身動きが出来ない入院生活は辛い。
次第にストレスを感じるようになってきた。
そしてそれは想像を超えたストレスであった。

過去に私と同じような妊婦が、自ら点滴をひきちぎってパジャマ姿のまま素足で逃走したことがある、と聞いた。(実は私も同じ衝動に駆られそうになったが、思いとどまって実行には至らずだった。)

しかし人間というのは良くしたもので、人はいかなる環境におかれたとしても、徐々に今の環境に適応しようとするようである。
そのうちに私はベットの上でどうやって一日を過ごすのか工夫し始め、その生活を楽しめるようになってきた。

気がつくと私はその病棟で歴代で一番長く入院する記録を持ち、「大部屋の主(ヌシ)」と呼ばれるようになっていた。
あとからあとから新しい人が入院してきたが、みんな先に退院していった。
ずっと見ていて思ったのだが、私もそうだったのだが、長期入院によるストレスはどうやら入院から2週間~3週間目が一番ピークのようだ。
しかしピークを過ぎるとみんな徐々に落ち着いてきた。
これは人間が持って生まれた能力、によるものなのかもしれない。
いやはや、人間というのは本当によくしたものだと思った。


病室の窓から見える朝日と夕日が、入院当初に比べるとずいぶん南に移動した。
夏至に最も北側に寄り、冬至に最も南側に寄ると子供の頃に理科で習ったけど、こんなにも違うんだ…。普段の生活だと気付きもしなかっただろう。

夫は毎日病室に見舞いに来ていた。
毎日欠かさず来るので「仲が良いご夫婦ね」と周囲からは羨ましがられていた。

おおよそ半年間、季節をまたいでの長き入院生活であった。(つづきはまた)

陽

(photos by photoAC)

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Sunのすべらない話(すべるかも)

                        
前回の話はこちら 長き入院生活の末、無事出産し退院した。 自宅に帰ると部屋は床から1メートルくらいの高さまでゴミ袋とゴミで埋もれ、我が家がゴミ集積場と化していた。 かろうじて子供はベビーベッドに寝かせることができたが、私は座る場所も寝る場所もない。丸一日掃除してやっと自分の居場所と寝場所を確保。 夫がこの家で生活していなかったことは一目瞭然であった。 しかしある程度、予測はついていた。 ...
前回の話はこちら

長き入院生活の末、無事出産し退院した。
自宅に帰ると部屋は床から1メートルくらいの高さまでゴミ袋とゴミで埋もれ、我が家がゴミ集積場と化していた。
かろうじて子供はベビーベッドに寝かせることができたが、私は座る場所も寝る場所もない。丸一日掃除してやっと自分の居場所と寝場所を確保。

夫がこの家で生活していなかったことは一目瞭然であった。
しかしある程度、予測はついていた。

夫はナースや同室ママ達の「優しいご主人ですね!」「素敵なご主人ですね!」に鼻の下をのばしきり、病院には毎日欠かさずやって来た。
「仲が良いご夫婦ですね」と言われていたが、実際は、夫は結婚直後から家にはほとんど帰ってくることがなく、うちで一緒に食事を摂ったり、一緒に過ごしたのは結婚してからだと数えるほどしかなかった。
入院中は自宅や夫の携帯に連絡をいれてきたが、電話がつながったことはただの一度もなかった。それが真実であった。

退院後も夫は家に帰ってくることはほとんどなく、たまに帰ってきたかと思うとぱんつパンツ をおニューのぱんつパンツに履き替え、またすぐに出かけて行った。
あくまでぱんつを履き替えるための帰宅、子どもの顔を見ることすらなかった。ぱんつごみ

私は夫のおニューのぱんつパンツを捨ててみた。
まもなくすると夫は全く帰ってこなくなった。


…ある日、ポストに国民健康保険料の督促状が届く。
その督促状の世帯主名のところが私の名前になっている。
私はその督促状をもって役所に行き、「私、世帯主じゃありません。夫が世帯主です。これ間違っています。」と窓口に申し出た。

しばらくすると「夫の〇〇さんが住民異動されています。この場合は、自動的にあなたが世帯主になります。」と説明される。

え?!自動的に…、って何じゃそりゃ?
将棋じゃないが、私は「成り上がった」というわけだ。
成り上がり
いや、それよりも、知らない間に
『夫が住民票を異動している』
というではないか。
いったい夫は今どこに?!

離婚するにしても何をするにしても、まず夫の居場所がわからないことには何もできない。
そこで役所の人に「夫の現住所(居場所)を教えてください!」と申し出る。
するとここで思わぬ返事が返ってきた。

私が役所に行ったのは4月であったのだが、この年の4月1日から個人情報保護法が施行されており、「いかなる場合であっても個人の情報を開示することは出来ない。従ってあなたの夫の住所を教えることは出来ない。」というのである。
「戸籍上の夫婦なんですよ。私は妻なんですよ!」と訴えるも、「たとえ奥さんでも駄目です!!」とのこと。
3月31日なら教えられたけど、法律だから4月1日以降は何がなんでも駄目!教えられない、ということであった。

結婚し直後に妊娠、直後に入院、退院して間もなく夫は行方知れず…。
おまけに「個人情報保護法」、ときた。
これはもう完全に「お笑い」の域である。 「すべらない話」である。
我が事ながらおもろすぎ。笑うよりほかなかった。

知り合いや私の家族から「夫を見かけた!」という情報が頻繁に届いた。
同じまちに居ることは間違いない。
夫から聞いていた夫の職業と職場は偽りであった。
個人情報保護法という法律の壁のもと、夫の居場所は分からずままだった。

退院後、生活費は一銭も入れてもらえていなかった。
幸い、生命保険の入院給付金を受け取っていたので生活はそれでまかなえた。
生命保険に加入しておいてよかった。本当に助かった。

それにしても「あの男は結婚しても家庭に落ち着くタイプではない」という皆の見当はビンゴであった。
コーヒー屋のマスターが語っていたろくでなしの●●、は正真正銘のろくでなしであったのだった。(つづきはまた)

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番外編 子どもに起こった出来事1

                        
前書き この編はお笑いなし&重い┗(;´Д`)┛内容となっております。 私自身の心の中を今再び整理しながら、子どもの身に起こったこと、発達障害、心の病、人間の可能性について三部に分けて綴ります。 子どもが生後8カ月の時、ショッピングセンターのアミューズメントパークでアンパンマンやSLマンの乗り物に初めて乗せたあげた。 この時子どもはそれはそれは大喜びであった。 それから約一週間後、ずっと行方知れずで...
前書き
この編はお笑いなし&重い┗(;´Д`)┛内容となっております。
私自身の心の中を今再び整理しながら、子どもの身に起こったこと、発達障害、心の病、人間の可能性について三部に分けて綴ります。


子どもが生後8カ月の時、ショッピングセンターのアミューズメントパークでアンパンマンやSLマンの乗り物に初めて乗せたあげた。
この時子どもはそれはそれは大喜びであった。

それから約一週間後、ずっと行方知れずであった夫から「子どもを貸してくれ」と電話があった。
夫の実家がその年の秋祭りで祭りをとりしきる家の当番にあたっていて、その席で自分の子どもを近所の人に見せるので貸してくれ、ということであった。

居なくなって半年、その間に何の音沙汰もなく、突然の連絡がこれだった。
「こどもは物ではない。物のようにこどもを貸すわけにはいかない」と断った。

この電話やりとりの数日後、子どもが肺炎にかかり入院した。
この頃、私はある手術を受ける予定で手術日も決まっていたが、入院中のこどもに付き添うため、手術を延期して子どもに付き添う。
10日後に子どもは退院し、入れ替わりで私が入院した。

あんぱんまん 「しばらく子どもには寂しい思いをさせてしまう。退院したら一番にあのショッピングセンターに行こう、子どもと一緒にまたアンパンマンに乗ろう!」そう思っていた。


私の入院中、夫が子どもを連れ去るかもしれない…。
私は子どもを預かってくれる家族に「絶対に夫に子どもを渡さないように!」とお願いし入院した。

ところが夫は私の入院中に「こどもを病院に連れてきて!とSunから頼まれたので子どもを渡してくれ」と私の母の元を訪ねて行った。
「嘘をついてでも連れ出すかもしれないので、何があっても絶対に夫に子どもを渡さないで!」と母にもしつこくお願いしてあったのだが、母は子どもを夫に渡してしまった。
「いくらそんな風に言ったって相手は親なんだから渡さないわけにはいかないでしょ!」ということだった。
夫には私の入院のことは内緒にしてあったが、どこかからその情報を聞きつけていた。 夫と夫の家族は数時間であったが子どもを連れ去った。

数時間後、夫らが子どもを連れて私の病室に来た。
夫の姉が「あなたの大事な子どもを返してあげるわよ。こどもなのにおもちゃを見せても全然遊びもしなかったわ」と不満げに言いながら子どもを私の腕に放り込んだ。
そりゃ見ず知らずの大人たちにいきなり囲まれたんじゃ恐ろしくておもちゃで遊ぶどころではなかっただろう。

子どもは泣きはらして顔がパンパンに腫れ、私の腕の中でガタガタ、ブルブルと体を震わせている。その震えは夫らが帰ってもずっと止まらず、私に抱かれているのも恐ろしくてならないといった感じだった。

この時はそんなに大そうなことになろうとは思いもしなかった。
しかしこれから後、大変なことになった。(次回へつづく)

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番外編 子どもに起こった出来事2

                        
前回の話はこちら 手術を無事に終え退院した。 退院して一番に子どもを連れてあのショッピングセンターに行った。 しかし子どもは何もかにも怖がって、気が狂ったように泣き叫んで乗り物に乗るどころではなかった。その場に居ることさえ出来ず、すぐに帰宅した。 その後、子どもは大好きだったお風呂も、ごはん(離乳食)を食べることも服を着ることも泣き叫んで拒絶した。体に衣服や床が触れることさえ嫌がり、一日中ほと...
前回の話はこちら

手術を無事に終え退院した。
退院して一番に子どもを連れてあのショッピングセンターに行った。
しかし子どもは何もかにも怖がって、気が狂ったように泣き叫んで乗り物に乗るどころではなかった。その場に居ることさえ出来ず、すぐに帰宅した。

その後、子どもは大好きだったお風呂も、ごはん(離乳食)を食べることも服を着ることも泣き叫んで拒絶した。体に衣服や床が触れることさえ嫌がり、一日中ほとんど寝ることなく泣き続けた。泣いてない時は部屋の一番隅っこで体を丸めて小さくまんまるくなって、微動だにしない。狂ったように泣いた果てに窒息することもしばしば起こるようになる。
小児科医で診てもらうが体に異常はないという。
日に何度も窒息している子どもを見て危険を感じた私は、居住地の保健センターに設置されていた”こころの相談窓口”に相談した。
すぐに専門の先生に見てもらいましょう、ということになった。

結果は「自閉症の一歩手前。このまま自閉症に移行するおそれがある。おそらく今後成長が止まり、体も大きくならないでしょう。」ということだった。「大変危険な状態です。すぐにカウンセリングを始めましょう」と先生が言った。

先生が言っていたとおり、その後子どもの身長や体重は全く増えなくなった。
それまでは順調に成長し寝返りもできるようになっていたが、それからはハイハイ、つかまり立ち、発語…、本来ならその時期に出来るようになるものが、時期を一年、二年、三年と過ぎても出来なかった。
子どもの成長が止まってしまった。笑うこともなくなった。

人間は生まれながらにして自衛本能を持っており、生命に危険を感じるとそれが働くそうだ。
突然知らない大人たちばかりに囲まれて自分の生命に危険を感じ、自衛本能により自分の周りに殻を作って身を守ろうとした。その結果、厚い殻の中に閉じこもってしまった。
子どもの成長は体と心(精神)の両方がともなってなされるため、心を閉ざしたことにより成長も止まった、ということであった。

セラピー カウンセリングが始まった。
幼児のカウンセリングはプレイセラピーといわれるもので、遊具、おもちゃなど遊びを使って行う。
子どもはおもちゃでさえ怖がった。
一年を経過してもおもちゃに全く目を向けず、石のように固まって地面の一点をただじ~っと見つめているだけだった。

(photo by photoAC)


怖がりの度合は月日を追うごとに減少するのではなく、むしろ増幅していった。
「自閉傾向だけでなく、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っています。」と説明される。(PTSDという言葉は当時はまだそうポピュラーなものでなく、私はこの時に初めてこの言葉を知った。)

連れ去られたのは数時間であったが、生命を恐れるような恐怖がその短い時間に凝縮していたためPTSDに至ったようだ。
連れ去りのあと、数日そこで過ごしていた方がむしろよかったそうだ。そうすると置かれた環境に適応しようとする本能が働いて、ここまでには至らなかったであろう、ということだった。

「置かれた環境に適応しようとする本能」、それを聞いて私は自身の入院生活のことを思い出していた。
やはり人間はそういう本能(置かれている環境に適応しようとする本能)を持っていたのだ、人間は限りない可能性を秘めている。

どうか自分の子どもにも何らかの可能性がありますように…、そう願った。

カウンセリングは遅々として進まなかったが、「とにかく可能性を信じましょう。焦らず心が開くまで待ちましょう」そう励まされながら通い続けた。
三年を経過しても子どもの成長は止まったままだった。(次回へつづく)

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番外編 子どもに起こった出来事3「再生のとき」

                        
前回の話はこちら 根気よくカウンセリングを続けた。 子どものカウンセリングだけでなく、私もカウンセリングを受けた。 母親の私の不安をできるだけ減少、解消していくのが目的であった。 接する母親が不安を抱えていると子供はそれを敏感に感じ取り、子供にも伝わっていくからだ。 カウンセリングに通うようになってからの3年間で、私は子どもの成長を周りの子供たちと比べることはしなくなった。 たとえ遅れていて...
前回の話はこちら

根気よくカウンセリングを続けた。
子どものカウンセリングだけでなく、私もカウンセリングを受けた。
母親の私の不安をできるだけ減少、解消していくのが目的であった。
接する母親が不安を抱えていると子供はそれを敏感に感じ取り、子供にも伝わっていくからだ。

カウンセリングに通うようになってからの3年間で、私は子どもの成長を周りの子供たちと比べることはしなくなった。
たとえ遅れていても自分の子どもなりに成長してくれたらそれでいい、と思うようになった。
そう思えるようになると気持ちは少し楽になっていた。

そしてカウンセリングを始めてから4年近く経た。
殻 その頃から、少しずつ子どもが自分の殻を破り始めてきた。
差し出されたものからすぐに目をそらさず、ほんの一瞬だが陰からうかがうように見、そして目をそらす、
差し出されるものに関心を示しはじめたのだ。

最初は一進一退どころか、一進三退みたいなこともあったが、子どもは少しずつ自分の殻を破って、ついに殻の中から出てきた!

自分の目で見ようとし始めた、

自分の手で触れようとし、自分から手をのばし始めた、

触れて泣くのではなく、笑顔が見られるようになってきた。

やがて遠くにあるものに触れようとしてハイハイし始めた。
つかまり立ちができるようになった。
独りで立ち、そして歩行できるようになった。

見る、触れる、といった五感から、見たい、触れたい、と発展していく動作。
まさに進化の過程を見るような感じだった。

全く止まっていた身長や体重が少しづつ増え始めた。
遅れていた成長が少しづつ取り戻されていった。


子どもは18歳になった。
心が閉ざされた4年間の後遺症は全くない、と言いたいところだが、言葉の理解や物事の順序立てがちょっと苦手だ。学童期は不登校児であり随分苦労した。
でも、一時は成長がまったく止まってしまった所から、ここまで来れたのだからこれ以上のことはない。

今後子どもは社会に出て、自分の壁に自ら立ち向かい乗り越えていかなければならない時もやってくることだろう。
でもそれは自分の子どもに限ったことではなく、誰もがみんなそうやって生きているのもしれない。
多かれ少なかれ、人は常に自分の壁に立ち向かい、自ら壁を乗り越えながら生きているのかもしれない。

後天的な心の病というのは大人でも子供でも、誰にでも起こりうるものだと私は思う。しかし、
たとえ心が病におかされたとしても、心はずっと同じところにあるのではなく、前に行ったり後ろにいったり、ところを変えながら変化していくものであるように思える。

人間はあらゆる可能性を秘めている。
五感はその可能性へのひとつの鍵だ。
「子どもに起こった出来事」はそう思える出来事だった。 そして色々なことを教えられた出来事であった。(番外編おわり)

前進


あとがき
この編は笑いなし&少々重い┗(;´Д`)┛内容であったのですが、ご覧くださりありがとうございます。

各市町村の保健センターには、こどもの成長に対する不安、心の不安、依存症…など”こころの健康”について相談する窓口があります。
ひとりで抱え込まず相談に行ってよかった、と今でも思います。
参考まで。

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人が好き(おいたちより)

                        
前回の経緯はこちら 夫は相変らず居所知れず、実質上はずっと母子家庭の状態であった。 そのため、ひとり親家庭のための制度(児童扶養手当、医療費の軽減、生活費の貸付など)を利用できないかと、役所に相談に行く。 しかし「夫と籍が入っている」ということで手続きを断られる。 「離婚したくても夫の所在が分からず、離婚もできない状態なんです」と事情を説明するが、「離婚してから来てください!」と全くとりあっ...
前回の経緯はこちら

夫は相変らず居所知れず、実質上はずっと母子家庭の状態であった。
そのため、ひとり親家庭のための制度(児童扶養手当、医療費の軽減、生活費の貸付など)を利用できないかと、役所に相談に行く。
しかし「夫と籍が入っている」ということで手続きを断られる。

「離婚したくても夫の所在が分からず、離婚もできない状態なんです」と事情を説明するが、「離婚してから来てください!」と全くとりあってもらえない。
何年にもわたり何度も相談に行ったがずっと門前払いであった。
ある日「それなら夫婦として生活していても籍さえ抜いていれば手続きが出来るのか?」と逆に問うてみた。すると「そうです!」とあっさり返答があった。(もちろんこの場合は不正受給、ばれたらお咎めがある。)

杓子定規 それにしても、個人情報保護法の時もそうだったが「日本のお役所はなんて杓子定規なんだろう」と、 つくづく思った。(海外のお役所がどうなのか知っているわけでもないのだが。)
※杓子定規=古くは杓子の柄は曲がっており定規にはならなかったが、曲がった杓子を定規代わりにする=正しくない定規ではかる意から、すべてのことを一つの標準や規則に当てはめて処置しようとする、融通のきかないやり方や態度、そのさま。

役所の人が「失踪届、捜索願いを警察署に出せば手続きができる」いうので警察署に相談に行く。
しかし「たびたび知り合いが目撃しているというのであれば失踪届、捜索願いを出すことは出来ない」ということで、あえなく撃沈であった。

当時は家賃が少々高めの賃貸アパートで暮らしていた。そろそろ安い所に引っ越さなければ生活がやっていけなくなる。しかしこの家の契約者は夫である。
不動産会社に相談した。不動産会社の社長さんは「本来は契約者(夫)でないと引き払うことは出来ないが、事情が事情ですので…」ということで認めてくれた。引き払う際の修繕費なども「今は大変そうなので頂きません。その分をこれからの生活に役立ててください」と免除してくれて、「がんばってくださいね」と励ましてくれた。(お役所と違い)民間はなんて優しいんだ、と涙がちょちょぎれそうになった。

社長さんいわく、不動産のお仕事をしていると色々な人、色々なケースに出逢うそうだが、その中でも私は格段「お気の毒な人」であったそうだ。
数年以上後に、またこの不動産会社にお世話になる機会があったのだが、その時も私のことを覚えていてくれて「あの時の方ですね!お元気そうにされていて本当によかった!」と喜んでくださった。
すごく大変だった時に優しく接してくださり励ましてくださったことを、今でもとても感謝している。

それ以外でも、私はこれまでに本当に多くの方々に助けられている。
記事『長き入院生活』で、「私は運が相当良い」と書いたが、人との出逢いや人との縁においてもそれが言えている。私は本当に恵まれている。
そして、多くの方々の助けと色々な経験により、私は変わった。
私は昔からオクテでオタクで人付き合いも苦手で「将来は無人島でひとりで暮らしたい」と思えるような人間嫌いな面が少々あった。だが、いつしか人間が好きになり、人との出逢いを大切に思えるように変わっていた。

今の私は「無人島でひとりで暮らすのなんて絶対にムリ!」と思える。

私は人が好きだ。
人と付き合うことで傷つくこともあるけれど、人との付き合いで人間のあたたかさに触れ、幸せな気持ちになることもある。
ひとりぼっちでは得られない幸せな気持ち、あたたかさ。
きっと、様々な経験の中でそれらをたくさん得られたからであろう。

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(photo by photoAC)

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父見つかる。(おいたちより)

                        
前回の経緯はこちら お父さんはいったいどこに居るのだろう。無事に生きているのだろうか? お父さん、孫が出来たよ。 お父さんが居たらきっと喜んでくれたことだろう。 さぞかし孫をかわいがっていることだろう。 お父さん、会いたいよ、どこに居るの? ずっとそう思いながら色々あたってきていたが、数年以上経ても父の消息は依然わからないままであった。 こどもの頃から毎年お正月に家族みんなで神社に初詣に行...
前回の経緯はこちら

お父さんはいったいどこに居るのだろう。無事に生きているのだろうか?
お父さん、孫が出来たよ。
お父さんが居たらきっと喜んでくれたことだろう。
さぞかし孫をかわいがっていることだろう。
お父さん、会いたいよ、どこに居るの?

ずっとそう思いながら色々あたってきていたが、数年以上経ても父の消息は依然わからないままであった。

こどもの頃から毎年お正月に家族みんなで神社に初詣に行った。
その神社はちっちゃい神社だった。だけどご利益があるのか、お正月にはいつもたくさんの参拝客がいた。

お正月以外の時はひと気がほとんどなく閑散としていたその神社に、私はある日お参りに行った。
そして「お父さんが見つかりますように」とお願い事をした。

神社



不思議なことにそれからしばらくして父の消息が判明した。

とあるショッピングセンターで買い物中に、むかし父方の親族に嫁いでおられた女性とたまたま出逢った。
その方は私が赤ちゃんの頃に近所に住んでいて、私をとてもかわいがってくれていた人だった。

ショッピングセンターでは立ち話でお別れしたが、久々にお会いしてあまりに懐かしかったので、その日の夜、その方に電話をかけた。
お互いの近況など話した後、「お父さんの行方が分からない」という話をした。
するとその方が「もしかしたらお父さんは〇〇という会社で働いているかもしれない」と言う。
父の親族を通じ「そこで働いている」と何年か前に聞いたことがあると言う。
その会社はどこにあるのかとりあえず教えてもらった。

父が居るかもしれない、という地はある島だった。
うちからだと港から船に乗って一時間くらいで行ける所だった。
会社名から電話番号を調べそこに電話した。
父の名前を告げると「そこで働いている」と言う。
見つかった。生きてた。

父は作業に出ていて社内には居ないということなので、こちらの連絡先を伝えて電話を切った。

子どもの頃に家族みんなでお参りしていた神社、あの神社でお参りして一週間後のことだった。
もしかしたら私の想いが通じたのかもしれない。

私はこれまで生きてきて、何度かこういった不思議な引き合わせ、不思議な引き寄せを体験したことがある。
この時に父の消息が分かっていなかったら、父とはあの電話のやりとりを最後に、永遠にお別れになっていたかもしれない。
それを思うとこの時点で父の消息が判明したことは今でもとても不思議であり、もしかしたら運命であったのかもしれない、と思えたりもする。

その後父から連絡があった。
あのあと(奥さんと子どもが出て行ったあと)、父は家を出たそうだ。
死のうと思って死に場所を探していたところ、ある女性と出逢って助けられ、今はその女性と一緒に居ると言う。

これまでどうして連絡くれなかったの?とかそんなことなど思いもしなかった。
とにかく見つかって良かった、生きててよかった、と思った。

しかし、これまでどうして連絡をくれなかったのか?その理由がこの時に分かっていれば、父はあのような最期を迎えずにすんでいたのかもしれない。

「とりあえずなにかはじめてみる」と始めたこのブログ、このブログには私自身のおいたちや日々のとりとめのないことを綴っているが、それと同時に「父が生きた証(あかし)を残したい!」という想いがここにある。
その理由、経緯については、これから先おいおいに明らかにしていこうと思う。
(つづきはまた)

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めでたく離婚

                        
前回の経緯はこちら 子どもが5歳のとき、夫が「離婚したい。離婚するのでSunに伝えてくれ」と私の母に連絡してきた。 それを母から聞いても別段おどろくことはなかった。 夫の居所は分からなかったが、周囲の人の目撃情報だと「いつも女性と一緒だ」と聞いていた。 結婚するので離婚したい、そういうことである。 周囲の人はみな「家庭裁判所で夫を訴えることができるのではないか?」と助言してくれた。 しかし私はそ...
前回の経緯はこちら

子どもが5歳のとき、夫が「離婚したい。離婚するのでSunに伝えてくれ」と私の母に連絡してきた。
それを母から聞いても別段おどろくことはなかった。
夫の居所は分からなかったが、周囲の人の目撃情報だと「いつも女性と一緒だ」と聞いていた。
結婚するので離婚したい、そういうことである。

周囲の人はみな「家庭裁判所で夫を訴えることができるのではないか?」と助言してくれた。
しかし私はそれまでに無料の法律相談を利用して弁護士に何度か相談していた。

「悪い奴(男)にひっかかりましたね」
「そんな男は叩いても鼻血が出るだけ。金は出ない。裁判はするだけ無駄。」
ということだった。

これは結婚してから知ったのだが、夫も夫の父親も働くことが嫌いであった。
実家は生活保護世帯で財産もない。
何人かの弁護士に相談したが、どの弁護士もみな同じだった。
裁判は多くのお金と時間を要し精神的苦痛も要する。
それに見合った成果は全く見込めないので裁判するのは無駄だ、というわけだ。

相手を訴えることはせず、協議離婚することにした。
夫は養育費の話し合いの際、「ない袖は振れない(払えない)」と開き直った。
養育費なしというのであれば離婚には応じられない、と言うと、「払うから離婚してくれ」と言ってきた。
「養育費月3万円」と約束したが、その約束は(なかば予想どおり)守られることはなかった。

離婚が成立したあと、古くからの友人たちと飲みに行った。
友人たちが「離婚おめでとう!」と祝杯をあげてくれ、ビールで乾杯した。
このとき祝ってくれた友人たちとはそれから以降も親しい付き合いであり、いつも私を応援してくれている。

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さすらいの仕事人(おいたちより)

                        
離婚後、約束した養育費が支払われることはなかった。 収入は全くなかった。が、子どもが人間を極度に怖がるため保育園に預けることは出来ず、働きに出るのは不可能だった。 この間の生活は、出産前の長期入院で得た生命保険の入院給付金でなんとか食いつないだ。 子どもが5歳の頃、人間に対する恐怖心を克服し保育園に通えるようになった。 私はさっそく仕事、働き口を探した。 はじめに結婚前にやっていたプログラマー...
離婚後、約束した養育費が支払われることはなかった。
収入は全くなかった。が、子どもが人間を極度に怖がるため保育園に預けることは出来ず、働きに出るのは不可能だった。
この間の生活は、出産前の長期入院で得た生命保険の入院給付金でなんとか食いつないだ。

子どもが5歳の頃、人間に対する恐怖心を克服し保育園に通えるようになった。
私はさっそく仕事、働き口を探した。

はじめに結婚前にやっていたプログラマーの仕事をあたってみた。
5年以上のブランク、その間パソコンに触れる機会も全くなかった。
当時この業界(IT業界)は日進月歩でめざましく変化、発展していた。
私は完全に浦島太郎になっていた。
当然ながら、どこを応募してもことごとく不採用であった。(IT業界、パソコンの今昔については後日また詳しく綴ろうと思う。)

気を取り直し他の職種で探すことにした。
バブル時は引く手があまたであった求人が、バブル崩壊後は大学の新卒者でさえ就職に困る状態であり、一日に2社、3社と面接を受けても働き口はなかなか見つからなかった。
そして最終的には、こちらから望まなくとも「うちで働きませんか?」と招いてくれる業種、生命保険会社のセールスレディとして働き始めることにした。

勤めていた保険会社は、その月のノルマを達成していればあとの時間は自由に過ごしてOKだった。子どもの体調が悪いとき、保育園の行事の日も気兼ねなく休みをとることができた。
そのかわり、ノルマは非常にきつかった。

会社は「ノルマを達成するには親族や知り合いに保険に入ってもらいましょう」と勧めていた。実際にそうしてノルマを達成している人がほとんどであった。
しかし義理立てで親族や知り合いに保険に加入してもらう、というのはどうも性に合わない。
そこで私は、毎日住宅地図を色ペンで塗りつぶしながら、お宅や会社をくまなく一軒一軒まわってセールスした。
自分の成績やノルマにこだわらず、お客さんにマッチする保険を勧めた。
そうしているとそのうちにお客さんの方から「保険に入りたい」と声をかけてくださることがあった。

生命保険の仕事のノルマは、お客さんが加入する保険の保険金額(死亡時に支払われる金額)が計上される。
仮にノルマが5000万円なら、ひとりの人が5000万円の保険に加入すればノルマが達成できる。
1000万円の保険だと5人(5件)の加入が必要になる。
(必要以上に大きな保障を勧められる理由はここにある。)

ノルマにこだわらないセールスは、とにかく件数を積み重ねる必要があった。
やがてノルマがどんどん上がっていくにつれ、毎夜ノルマに追われる悪夢を見るようになり、元々押しが弱い性格ということもあって、この仕事が一生の仕事になることはなかった。

これ以降、私はさまざまな仕事に就いた。
しかしどれも長続き出来ず、そのたびにまた一から仕事探しをしている。
さまざまな仕事の中には「安全靴にヘルメット着用」のガテン系の仕事もある。
さながら「さすらいの仕事人」なのであった…。
(その他の仕事の話はまたおいおいに。)

さすらい

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タクシードライバー

                        
ひとりで子育てしながら生計を立てるために最初は生命保険の外交員として働いたが、将来に渡り外交員を続けていく自信がなく、次の仕事を探していた。 次に選んだ仕事はタクシードライバーだった。 その仕事を選んだのはほんの小さなキッカケから、であった。 急なドシャ降りの雨が止んだあと、横断歩道がある交差点で信号待ちしていた。 さきほどの雨で路肩にはところどころに水たまりができている。 そのとき、対面(横断...
ひとりで子育てしながら生計を立てるために最初は生命保険の外交員として働いたが、将来に渡り外交員を続けていく自信がなく、次の仕事を探していた。
次に選んだ仕事はタクシードライバーだった。
その仕事を選んだのはほんの小さなキッカケから、であった。

急なドシャ降りの雨が止んだあと、横断歩道がある交差点で信号待ちしていた。
さきほどの雨で路肩にはところどころに水たまりができている。
そのとき、対面(横断歩道の向こう側)に一台のタクシーが停車した。

後部ドアが開いたものの、乗客がなかなか降りてくる気配がない。
後部座席に目をやると、乗客は初老のご婦人。杖が見える、足が少しお悪いようだ。
水たまりをまたぎながら降車するのが難しく、ためらっておられるようだ。

車道を挟んだ信号待ちでその光景を見かけたので、その場に行って助けてあげることができない。
ドライバーが少し車を前に移動させて水たまりを避けるか、降りて乗客の手を引いてあげれば降りられるのになぁ、私ならそうするのになぁ…。」そんな風に思いながらその光景を見ていた。

この時だった。
「そうだ、タクシードライバーになろう!私がタクシードライバーになればいいんだ!」
私はそう思った、そうひらめいた。

すぐにタクシー会社に面接に行き就職、二種免許を取得した。

タクシー


一番最初のお客さんを乗せた時は緊張のあまり、
乗車ボタン(運賃を計算するタクシーメーターのボタン)を押し忘れ、降車時に料金を告げようとした際にそれに気づく、というドジをやらかした。
幸い、近距離の常連のお客さんだったので「いつもの料金」を頂戴し、事なきを得た。

それとは逆に、お客さんが降車したあともメーターを入れっぱなし、というミスもある。
この場合、余分に走った料金はドライバーが自腹を切らなければならない。
遠距離のお客さんを乗せた際、行きのメーターは忘れずに押したにもかかわらず、帰り(降車時)に降車ボタンを押し忘れる、ということはベテランドライバーでもたまにある。これはあまりの嬉しさで舞い上がるためであり、儲かるどころか2万円超えの自腹を切る羽目に遭ったお気の毒な先輩ドライバーも居た。

タクシードライバーの仕事は楽しかった。やりがいもあった。
しかし生活をやっていけるだけの給料がなかった。

完全歩合制というのはたしか違法だと思うのだが、タクシー業はいまだ完全歩合制のところが結構多い。
ご多分にも漏れず、私が勤めた会社もまたそうであった。
タクシー仕事の合間に会社の事務、営業の仕事をやって10万円そこそこ、休日なく寝る暇なく働いてやっと食べていける収入だった。
そのうちにここに介護の仕事が加わった。
障害を抱えた児童、介護が必要な方の自立支援、居宅介護を行う事業を会社が始め、私がその要員となった。業務で必要なヘルパー1級の資格も取った。
タクシー乗務のかたわら、外出支援や食事や入浴の介助といったヘルパーの仕事もやった。
それら全ての業務を含め、タクシーの仕事は楽しかった。
やりがいがあった。

この仕事で生活していくには営業で顧客を増やし、自分で仕事をとっていくしかない。
私はくまなく営業に回って顧客、仕事を増やし続けた。
給料は入社当初は7~8万円だったのが倍ほどの金額になっていった。
生活は苦しかったが、この仕事を一生の仕事にしていこう、
私はそう思いながら働いていた。

ちなみに、乗務しているときは無線で配車される仕事より、「流し」(業界用語で街中を走って乗客を探す営業)の仕事が好きであった。

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ちょっとした手助け(おいたちより)

                        
(前回の話はカテゴリー「はじまりとおいたち」の「タクシードライバー」をご覧ください。) 雨上がりの路上で見かけた光景からひらめき、タクシードライバーになり、それから数年過ぎた。 渡瀬恒彦さんのドラマ(タクシードライバーの推理日誌)じゃないが、タクシーの仕事はお客さんを乗せた瞬間からドラマが始まる。 そして降車時に「ありがとう」とニコニコと降車されていくお客さんを見届け、ありがたい気持ちでいっぱい...
(前回の話はカテゴリー「はじまりとおいたち」の「タクシードライバー」をご覧ください。)

雨上がりの路上で見かけた光景からひらめき、タクシードライバーになり、それから数年過ぎた。
渡瀬恒彦さんのドラマ(タクシードライバーの推理日誌)じゃないが、タクシーの仕事はお客さんを乗せた瞬間からドラマが始まる。
そして降車時に「ありがとう」とニコニコと降車されていくお客さんを見届け、ありがたい気持ちでいっぱいになる。 そんなタクシーの仕事が大好きだった。

平日の昼間の時間帯はお子さん連れの親子(母子)がタクシーを利用されることが結構ある。
ベビーカーや授乳用品など荷物を持っての移動である。
休日は夫に手伝ってもらえるが、母子のみで移動となると色々大変だ。
ずっとひとりで子育てをしてきたこともあり、その大変さはよく分かっていた。

こどもの乳児検診で出かけた時も、まだ首がすわっていない子どもを抱きかかえながら下駄箱で靴の脱ぎ履きをするのでさえ大変だった。
ほんわか そんなとき、近くに居た人が「どうぞ」と靴を下駄箱から取り出してくれた。
ちょっとした手助けがとてもありがたかった。
心がほんわかあたたかくなった。
靴の脱ぎ履きに限らず、行く先々でちょっとした手助けにふれる機会があり、感謝することが多々あった。

自分のこどもの手が離れてきたとき、
これまでに誰かにしてもらって嬉しかったこと、助かったことを、私もまた誰かにしてあげよう、
私はそう思っていた。
タクシーの仕事ではその機会がたくさんあった。

親子連れのお客さんだと玄関先までベビーカーを押して行って、母親がバッグの中から家の鍵を取り出し鍵を開けるまで赤ちゃんをみていてあげたり、etc、…
ほんの些細なことであるが、私自身が「ありがたかった」「本当に助かった」と思えたこと、それらをタクシーの仕事の中に織り込んでいった。


ある日のこと、勤めていたタクシー会社社長から「会社の売り上げを上げるための策を考えてくれ」と依頼される。
しかし、「近距離客には冷たい」など世間がタクシーに抱いているイメージや、違法な給与体系が変わらないことには売上アップは難しいと思われた。

完全歩合制のもとでは、二時間ちょっと客待ちをしてやっと乗車したお客さんがワンメーターであった場合、ドライバーの収入は時給換算で百円台である。ドライバーにとってこれは死活問題で、そのためお客さんに露骨な態度を取るドライバーもいる。
違法な完全歩合制がなくならない限り、「わざわざお金を払ってでもタクシーに乗ろう」という人が増えることはないだろう。

私は給与体系の見直しを行うことを条件とし、売上アップ案を社長に提示した。
案は子育て支援のNPO法人とコラボを組み、子育てを支援するタクシーを走らせる、NPO法人とコラボを組むことで会社の宣伝にもなる、というものであった。
なによりも私が願っていたことは、会社の売上アップはもちろんのことだが、世間やタクシー界において、ちょっとした手助けが当たり前のことのようになってほしい、ということであった。
それは私がタクシーの仕事を始めたきっかけでもあった。

ドライバーには運転業務以外にサービス提供の業務、それに要する時間が発生する。そのため、その分の時間給or手当をつける、ということを条件に提案した。

社長は私の案を採択した。
コラボを組んでもらえるであろうNPO団体はあらかじめ調べてあった。
私はその団体の連絡先を社長に伝え、次のステップに向けてアクションをとるようお願いしたのであった。
(次回につづく)

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突然の解雇

                        
(前回の話はカテゴリー「はじまりとおいたち」の「ちょっとした手助け」をご覧ください。) 社長に依頼され会社の売上げアップ案を提示した。 案の実現、継続にはドライバーの給与の見直しが必須であり、そのため給与体系の見直しを条件に含めたものであった。 それから間もなく、夏のボーナス支給日の前日のことだった。 朝出社すると私のタイムカードがなくなっていた。 私の事務机の引き出しの中が空っぽになっていた...
(前回の話はカテゴリー「はじまりとおいたち」の「ちょっとした手助け」をご覧ください。)

社長に依頼され会社の売上げアップ案を提示した。
案の実現、継続にはドライバーの給与の見直しが必須であり、そのため給与体系の見直しを条件に含めたものであった。

それから間もなく、夏のボーナス支給日の前日のことだった。
朝出社すると私のタイムカードがなくなっていた。
私の事務机の引き出しの中が空っぽになっていた。
しばらくすると社長室に呼び出された。
「明日から来なくていいから。仮に出社しても給料は出しませんから。」
そう告げられた。解雇、であった。
解雇
そのあと、号泣しながら車を運転して帰宅したのは覚えている。
おそらく半狂乱の状態だったのではないかと思う。

(Iliust by IliustAC 挫折シリーズOL)


突然解雇された翌日、テレビから「あたらしいタクシーの試験運行が今日から開始」というニュースが流れてきた。
あたらしいタクシーはささやかな手助けではなく、経済貧富の差により利用できる人もいれば、利用できない人も出てくるであろうものだった。
商標登録によってそれはフランチャイズ展開されていった。
ドライバーの給与はこれまで通り、仕事だけ増えた、と元同僚から聞いた。
なぜ私を解雇したのか、おのずとして分かった。
あたらしいタクシーはその後も新聞やマスコミで大いに取り上げられた。
「ささやかな手助け」という想いは伝えられないまま、その報道を見るたびに私は涙した。

会社からはボーナスはおろか、解雇予告手当(解雇の30日前に予告をしなかった場合、企業は30日分以上の平均賃金を支払う義務がある)も支払われなかった。 労働基準局に行き相談したが、今後会社を是正することは出来ても罰することはできない、ということだった。
民事で争うしか方法はない、ということだった。
裁判しましょう、と労働者を応援する組織から声をかけられたが何年もかかると聞いて諦めた。

突然の解雇後、私は人間不信に陥った。
人前でうまく話せなくなってどもるようになってしまった。
何もかもの自信を失っていた。
解雇された会社に通じる道路を車で走行すると嘔吐した。
外出が出来なくなった。しばらく社会に出られなくなってしまった。
引きこもりになってしまった。

それから一年ちょっと経て、このままではいけない!と思い始めた。
今の自分に出来ることは何?
何から始めればいい?
そんな思いがぐるぐる頭を回った。

そんな時、二種免許取得時にお世話になった恩師が「中型自動車免許がもうすぐ新設される。今のうちに大型自動車二種免許を取っておかないか?」と声をかけてくれた。
二種免許を取得しているものの、はっきり言って運転は下手くそな部類である。しかし、 とりあえず挑戦してみよう、と決心した。
とにかく何か始めないと…、そんな思いだった。

外出もままならなかった日々が、自動車教習所に通う日々に変わった。
大型二種免許を取得した。
全く失っていた自信を少し取り戻せたような気がした。
でも、まだ社会復帰は無理だった。

そのまま、大型特殊、牽引、…他の免許を取得していった。
全ての車両免許を取り終える頃、ずっと忘れてしまっていた達成感を感じることが出来た。
自信が少しづつ取り戻せてきたように感じた。
大好きだったタクシーの仕事はトラウマがあって戻ることができなかった。
しかし将来、いつかまた戻りたいと思った。

取得した免許を生かし、非正規雇用ではあったが、とりあえず検診バスの運転手として社会復帰した。

解雇された会社は創業30年以上の会社であった。
先代社長亡き後、私を解雇した社長が継いだのだが、解雇から二年もたたずうちに会社は潰れることとなった。

商売にはハートが必要だ。
つくづくそう思えた。
(注意:解雇は勤務していた会社社長の一存によるものであり、記事内容は現存している組織団体、その組織団体が現在行っている活動とは無関係です。)

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なんちゃらハラスメント【序】

                        
これまでおいたちで「突然の解雇」、その後は検診車のドライバーとして働く、というところまで綴ってきた。 ところが先日の「母の骨折」の記事内で看護学生であったことを書き、実にフライングをした。(時系列に沿っていない記事をご覧になり「あれ?」と思われた方がいらしたかもしれない。) あえてのフライングであった。 正直なところ、それ(看護学生や看護の仕事)についてこれまで書けずにいた。 それは私にとって、...
これまでおいたちで「突然の解雇」、その後は検診車のドライバーとして働く、というところまで綴ってきた。
ところが先日の「母の骨折」の記事内で看護学生であったことを書き、実にフライングをした。(時系列に沿っていない記事をご覧になり「あれ?」と思われた方がいらしたかもしれない。)

あえてのフライングであった。
正直なところ、それ(看護学生や看護の仕事)についてこれまで書けずにいた。
それは私にとって、あまり思い出したくないことであったからかもしれない。
内容が重いため書くのを躊躇した、というのもあるかもしれない。

あえてのフライングの後、私は少し昔を振り返り考えていた。
私は看護の資格を取った。
看護師として病院で少し働きもした。
しかし現在は看護の仕事に就いていない。

私と同じように、看護の資格を持ちながら、実際は看護の仕事に就いていない、就けなかった、続けられなかった、という人は世の中に大勢いることかと思う。

当時のことはあまり思い出したくない。
でも今まさに、あの時の私と同じ心情、同じような経験をされている方が世の中には居る。
そして、同じような事柄は看護以外の職種、学校、職場においても起こりうる。

当時の私は分からなかったけど、今だから分かる、今だからこそ書けること、があるかもしれない。…そう思えてきた。

なので、少しずつ綴っていこう、と思う。172626.jpg
内容が重い、と思われたら読み飛ばしてくれていい、
興味がある、同じ環境にあった、今同じ、という方は
このまま読みすすめて欲しい。

(Illust by IllustAC)

・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・・~・

おいたち話をつづけていこう。
検診車ドライバーは派遣の仕事で、将来に渡って働ける仕事ではなかった。
その後、私は看護学校(夜学)に通う。
訪問看護の仕事をしたい、という思いがあった。
そのため、准看護科卒業後は同じ学校の看護科への進学を希望していた。

二年間の准看護過程を無事に終え、卒業を迎えた。
この時、一番の仲良しで互い励ましあいながらやってきた学友から、思いもよらぬ申し出、というかお願いというか、忠告というか、懇願があった。
それは…、

「お願いだから進学はやめて!」というものだった。なんでも…

「看護科にはイジメを行う教師が居る。
 人当りがよく、皆から好かれ、成績が良い生徒がその教師のターゲットになる。
 Sunは絶対にそのターゲットにされるわ、私にはわかる。
 だから進学するのは止めて!」
ということだった。

「そういうのはただの噂話だよ~」と言う私に対し、学友は
「私の先輩が今そのターゲットになっているの。退学するか体を壊して倒れるかのどっちかしかない、と困ってる。それで調べてみたの。毎年必ずひとりの犠牲者が出てる。だから、進学するのは絶対にやめて!」
と彼女は泣きながら懇願した。

そこまで思ってもらえるなんてありがたい、心からそう思った。
しかし、「本当だろうか?」と半信半疑でもあった。
仮にそれが事実の話であったとしても、そのターゲットが「私」と断定する根拠はない。

でも少し不安はあった。なぜなら、
私は高校時代にハラスメントをまさに経験したことがあったからだ。
(次回につづく)

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なんちゃらハラスメント【高校】

                        
(前回の話はこちら) 学友から「看護科にイジメをする教師が居る」という話を聞いて、 「本当だろうか?」と思う半面、 全くないとも言い切れない、思い切れない自分が居た。 高校時代にハラスメントを経験したことがあったからだった。 それは家庭科教師によるものだった。 ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・・~・ 私は小学生の頃からパンツ、靴下、運動靴が破れたら自分で針と糸...
(前回の話はこちら
学友から「看護科にイジメをする教師が居る」という話を聞いて、
「本当だろうか?」と思う半面、
全くないとも言い切れない、思い切れない自分が居た。
高校時代にハラスメントを経験したことがあったからだった。
それは家庭科教師によるものだった。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・・~・

手芸 私は小学生の頃からパンツ、靴下、運動靴が破れたら自分で針と糸を使ってきれいに繕って履き続けた。
高校生の頃は自分で着る服をミシンで縫って手作りし、仕事で忙しい母に代わって食事、お弁当を作っていた。

手芸やお料理をつくることが大好きだった。         (Illust by IllustAC)
家庭科は大好きな科目のひとつだった。
そんなこともあり、小中学校を通し、家庭科は得意中の得意の科目であった。

高校での授業、提出物はきちんと提出し、テストの点数もそう悪くはなかった。だが家庭科の評価だけ毎回5段階の「2」だった。
数字2
小学校からその時まで、他の教科でも「2」は見たことがなかった。ちょっと驚きだった。
その後、学級担任の先生に呼び出された。「2」は進級にひっかかるから気を付けて、ということだった。でも、家庭科の出来が悪くて落第するなど、私には全く考えられもしないことだった。

いつも家庭科のテスト答案が返ってくると、点数の横に赤ペンでいろいろ書いてあった。「あなたは私の悪口を言って…」「あなたは〇〇〇…」、と長々書いてあった。全部私の悪口だった。
ある日みんなの答案を見せてもらった。みんなは点数しか書いてない。いつも「点数のみ」だという。 私の答案にだけ…、であった。
「この先生にだいぶん嫌われているんだろうね…」、帰宅して母とそう話した。

心当たりはあった。
家庭科の実習中、分からないことがあるとクラスの友人らは私のところに来た。
私は「先生に聞いてね」と対応していた。
しかし先生は一人で40人ほどの生徒を見ており順番がなかなか回ってこない。
そのため、多くの生徒が私のところに来た。
「あの先生、聞いても怒るばっかりで教えてくれないのよね」友人がそう言った。その言葉がたまたま先生に聞こえたのではないか?と感じたことがあった。

そして、進級できるかどうかが決まる学年末の評価。
あろうことか、家庭科の評価は、10段階の「1」であった。

学年末の「1」というのは、他の教科が全て「10」であっても進級できない、に値するものだった。数字1 担任の先生は「めったに見ることのない数字、極めて稀なもの、初めて見た!」と言っていた。

いくらなんでも…
ここで私はやっとブチ切れた。頭に来た。
しかし、私よりもいち早く頭に来ていたのは母の方であった。

そうそうのことでは他人を怒鳴ったりなどしない母が、学校に即行。
「うちの子が家庭科でこんな評価を受けるのは間違ってます!おかしいです!」と校長室に怒鳴り込んで行った。
校長室
校長室。母と私と校長先生。
この席で私は
「学校を辞めます!」と宣言した。

慌てる校長先生と母。
「辞めたらいけない!」とふたりは必死に私を説得する。

入学試験時の成績(この時知ったのだがなんとトップテン内だった)、これまでの成績、それらをふまえても「確かにおかしい」ということで、事実確認が行われた。
そのあと、校長先生から謝罪があった。
校長先生によると、教師も人間なので”ウマが合わなかった”ということらしい。本人にちゃんと注意いたしましたので、ということだった。

私は退学する気マンマンになっていたが、校長先生と母に説得されて、なんとか退学を思いとどまった。
高校生の時、このような経験があったのだった。      (photos by photoAC)

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なんちゃらハラスメント【看護学校①】

                        
今回の話は看護学校での体験談。 ゴールデンウィークさなかにありながら内容は重め。というのも、今実習のさなかであろう看護学生のことを思う気持ちから、今回と次回の記事は早々に伝えたい、という思いからの投稿である。 ・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・・~・ 「看護科にはイジメを行う教師が居る。進学はやめて!」と懇願する学友。 高校時代の経験が頭をよぎった。 だが、それま...
今回の話は看護学校での体験談。 ゴールデンウィークさなかにありながら内容は重め。というのも、今実習のさなかであろう看護学生のことを思う気持ちから、今回と次回の記事は早々に伝えたい、という思いからの投稿である。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・・~・

「看護科にはイジメを行う教師が居る。進学はやめて!」と懇願する学友。
高校時代の経験が頭をよぎった。
だが、それまでの二年間、訪問看護師として働きたいという夢を目標に、夜学で頑張ってきた。この夢を簡単にあきらめることは出来ない。
「気持ちは分かった。でも夢をあきらめたくない。」友人にそう伝えた。

ここでひとつ言えるのは、類を友を呼ぶという言葉があるが、
この学友は私のようにハートがとても熱い人間であった。
が、それでいてとてもクールで、物事を客観的に捉えることもできる人間であった。彼女は私と違って、とてもヨミが鋭い人間だった。

卒業後、彼女は病院に就職し、私は看護科に進学した。入学試験、入学金免除の推薦入学だった。

学友のヨミは正しかった。
まもなくして私はイジメ教師のターゲットとなった。

それまでに試験で「欠点(落第点)」を取ったことは一度もなかった。
イジメ教師の試験はいつも作文だった。
クラス40人中、毎回私ひとりだけ欠点だった。
一度だけクラスでふたりの時があった。その子は全く白紙のまま提出していた。親の命令で仕方なく登校しており、学校を辞めるために白紙提出した子だった。

課題レポート、提出物も全て「不可」だった。
「不可」の場合、修正書き直しをして「良」or「優良」がとれるまで再提出しなければならなかった。
修正すべき箇所は付箋がついて返されたが、クラスメートは多くて5、6箇所。
私はいつも100以上、あまりの多さで全部数えてない。笑える量の付箋だった。
しかし笑っている場合ではなかった。
みんな2回目の提出でOKだったが、私だけ4回目、5回目と提出し続けた。
いつも最終期限の5回目まで「不可」のままだった。

課題 書き直しと新たな課題に追われ、毎日寝る時間はほとんどない。
手はペンだこだらけでパンパンに腫れて痺れ、血まみれだった。

尋常ではない…。

(photo by photoAC)


担任教諭に相談した。
「こういうことをする先生なのよ。くそっ、あいつめ、また始めたのね!」
担任はそう言った。
学友のヨミが正しかったこと、現実であることを更に実感するばかりであった。

学校では教諭同士の間に派閥、上下関係があった。
担任教諭は極めて立場が弱いグループにいた。
「その教師にたてついても余計にエスカレートするだけだから、我慢して頑張るのよ」ということだった。
「我慢して。負けないで。頑張って。」いつもそう励まされた。

ある日、担任教諭が学友たちの「優良」のレポートを借り集めてきた。
レポートの評価の際、特にここは良いという部分に◎と下線が記されるのだが、その部分を「全てかき集めて書くのよ」と大量のレポートを手渡された。
どう対処しても無理だと分かっていたが、担任の気持ちと行動は受け取った。
「優良」の学友たちの知恵をかき集めて結合し(👈まさに英知の結集である)、提出してみた。が、やはり最終期限まで「不可」であった。

ちょうどその頃、一学年上で学生会長を務めていた先輩が、教師との揉めごとが原因で学校を去った、と知る。
生徒、教諭、多くの人から慕われて成績も非常に優秀な人であった。卒業を目前にしてのことであった。
この人がこの年のターゲットだったのか、とすぐに分かった。
次は私の番だ。

クラスのみんなは来年の病院実習の予習にとりかかっている。
私はまだ夏休みの宿題レポートの書き直しをしている。
レポート再提出の都度「これをパスしないと実習に行けないのよねー。このままだとあなたひとりだけ実習に行けないわねー」、イジメ教師は嬉しそうに言う。愉快で愉快でたまらない、というあからさまなアピールであった。

私はこのイジメ教師がとても恐ろしかった。なぜなら、
この教師は、成績が悪いのはもちろん看護者として決してあってはならない言動が絶えなかった生徒を、異様なほどに擁護し、サポートし続けていた。
他教師らは「看護者に不適格」と指摘し続け、生徒も皆同様に感じていた。
看護の仕事は人に命に関わる。資質は重要だ。イジメ教師の行為は非常に恐ろしく思えた、今でも恐ろしく思う。

たまに信じられない医療事故、虐待などの報道を目耳にするが、この時「不適格な者もすり抜けている現実」として、このことがふと頭をかすめることがある。

94f930f781f5fa5c1669dbc5588b034d_s.jpg 何が正しくて何が間違っているのか、
分からなくなりそうになる、
そんな日々であった。(次回につづく)





内容重めだったので、気分リフレッシュ!に写真を。今日お散歩中に撮った写真
皆さま、良い休日を。(^^♪
テントウムシ 18222605_1297119310372729_2135298640702423059_n.jpg
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なんちゃらハラスメント【看護学校②】

                        
(前回の話はこちら) 来る日も来る日も、レポートの書き直しの日々は続いた。 3年過程の最後の年は病院実習が大半。 実習担当の教員は数名いた。やっとイジメ教師から逃れられる、そう思っていたが甘かった。 イジメ教師が私の担当だった。 イジメ教師は実習の全てにおいて権限がある実習担当主任だった。 なにもかもがこの教師の思いのままだった。 実習中の班長(リーダー)役は、ほとんど私に割り振られていた。 ...
(前回の話はこちら

来る日も来る日も、レポートの書き直しの日々は続いた。
3年過程の最後の年は病院実習が大半。
実習担当の教員は数名いた。やっとイジメ教師から逃れられる、そう思っていたが甘かった。
イジメ教師が私の担当だった。
イジメ教師は実習の全てにおいて権限がある実習担当主任だった。
なにもかもがこの教師の思いのままだった。

実習中の班長(リーダー)役は、ほとんど私に割り振られていた。
私が班長の雑用をこなしている間に、クラスメートはその日のレポート(実習記録)を書き終えて提出した。私はレポートを書く時間すらない。
「班長はクラス全員で交代に、にして欲しい」と担任教諭にお願いに行った。
全ての権限はイジメ教師にあったので、「たてついたら余計にエスカレートするだけだから我慢して。ここまでこれたのだから、あともう少しの辛抱よ。負けないで。頑張って」と励まされた。

実習をこなしながら、相変らずレポートを作成、書き直しに明け暮れる毎日。
以前は5回目まで提出しなければならなかったが、実習では期限がなかった。何度書き直しても、何回提出しても「不可」で返され、まるで地獄だった。
毎日睡眠は0~2時間。居眠り運転してしまったこともある。
いつ倒れるのか?いつ倒れてもおかしくない、ずっとそんな状況だった。

自分が倒れるのはどうでもよかったが、患者さんや人様に迷惑をかけることだけは絶対にしたくなかった。
702956.jpg 一度だけその旨を教師に伝えた。が、「出来ない人間は全く寝れなくても出来るまでやるのが当たり前なの!」と罵倒されたあと、いくつかの人格否定の言葉を浴び、泣きながら帰宅した。

(Illust by IllustAC)

半ば当たり前のことではあるが、とうとう体を壊してしまった。
体を壊して実習を休んだ場合、「(学校にお金を支払って)補習を受ければ大丈夫」という救済制度があった。
しかしイジメ教諭が作成した私の実習スケジュールは、補習が全く受けられないよう緻密に組んであった。
実習がクリヤできない事態となった。

それまでに幾人かの教師、学校関係者が私のことを陰ながら応援、バックアップしてくれていた。が厚生労働省が定めるカリキュラムである実習のクリヤについてはどうにもならない。
「どうしてこのことにもっと早く気付いてあげれなかったのか…」、応援して下さっていた教諭が悔やんでおられた。

救済制度が全く利用できないことが判明した時点で、私の留年が確定した。
それと同時に、母子家庭ということで高等技能訓練促進費給付金(看護や介護の資格を取得するための給付金)を受給していたが、これが即刻に打ち切られた。

経済的困難が予測されると、学校側は退学を執拗に勧めてきた。
留年しても学校を続ける意志があった。
学校側に「学校を続ける意志がある」と伝え続けたが駄目だった。

その頃になりネットで「看護学校」「イジメ」と検索をかけると、私と全く同じような体験をされた、されている人の書き込みが大量にあることを知った。
今回私がブログで取りあげたのはほんの一部で、他にも色々あった。その色々も含め、どれもこれもが私の体験とあまりに酷似している。
ターゲットが存在し毎年慣例化、教諭間の派閥の存在とその影響、作文による不当評価、全く睡眠出来なくされる、他。
不適格者に対する擁護や支援もまた同様で、目的はハラスメントによるダメージの増大、であろう。

被害者=ターゲットにはいくつかの傾向がある。
人当たりが良い、人気者、成績優秀、明るい性格、真面目、おとなしい、他職種経験者、母子家庭の母親、…

ネット上には、このようなことが許されてもよいのか、これが社会の問題として取りあげられるようになって欲しい、と悲痛な叫びが多数見られる。

しかし現時点では、世の中にはほとんど、いや全くと言っていいほどその叫びは届いていない、伝わっていない。
被害妄想や、本人の努力不足、能力不足、そういった風に片付けられてしまうこともあるようだ。
訴訟を起こしているケースもあるようだが、それは稀だ。

なしのつぶてであるかもしれないが、
ここで私は一石を投じてみる。
砂粒ほどの石ではあるが、この現実が少しでも社会にふれることを望む。

同じような経験をされている、された方で、伝えたいことがある方は右側真ん中ほどにあるMailformより伝言を寄せてほしい。
どうかひとりで苦しまないで。

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(photo by photoAC)

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なんちゃらハラスメント【看護の職場】

                        
(今回の記事は後半が少々Heavyな内容となっております。) 看護学校を中退後、一般企業で事務職として働いた。 しかし、看護職を完全に諦められなかったのだろう。 年齢も考えると再チャレンジをするのなら今しかないと意を決し、もう一度看護の世界に飛び込んだ。病院に就職した。 小さなクリニック、常勤看護師は私を含め2名、パートが1名。 しかしそこは、看護学校時代を思い起こさせるような世界だった。 最初から...
(今回の記事は後半が少々Heavyな内容となっております。)

看護学校を中退後、一般企業で事務職として働いた。
しかし、看護職を完全に諦められなかったのだろう。
年齢も考えると再チャレンジをするのなら今しかないと意を決し、もう一度看護の世界に飛び込んだ。病院に就職した。
小さなクリニック、常勤看護師は私を含め2名、パートが1名。
しかしそこは、看護学校時代を思い起こさせるような世界だった。
最初からそうではなかった。そうなったのには、きっかけがあった。

ひとつ目のきっかけは「トイレットペーパー」だった。
スタッフも患者さんも使うトイレのトイレットペーパーを、三角折りにするか、しないか、で先輩と話し合った。
トイレには手を洗う設備がなかった。
私は「感染上、衛生上、折らない方がいいと思う。」だった。
先輩は「三角に折るのは社会の常識。必ず折るべき。」だった。
そして「社会の常識を知らないあなたは非常識!」ということだった。

それ以降、私は先輩の意見に従った。(手を洗って)三角に折った。
先輩はそれ以降、「だからあなたはトイレットペーパーなのよ!」と、常日頃、何においてもトイレットペーパーの話を持ち出した、結びつけた。
それは3カ月が過ぎても続いた。
「トイレットペーパー」が水に流されることはなかった。

それまでは仲良しだった先輩と私。
ギクシャクの始まりは「トイレットペーパー」だった。

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                (photo by photoAC)


ふたつめは決定的だった。
ある日私は、車いすで来院された患者さんを手助けした。大したことではなく、ちょっとした手助けだった。
その後、患者さんとご家族が「大変感動した」と院長先生に話され、院長先生がスタッフみんなの前で、「君は看護師のかがみだ。」と私のことを褒められた。

その直後、「看護はチームプレイなのよ!スタンドプレーはしないでよね!」と先輩から叱責を受けた。
「チームプレイができないあなたは看護の適性がありません。今後看護の仕事はさせられません。これからは掃除婦をやってください。」と言われた。
翌日から先輩の指示で、私は看護師として現場に立つこと、院長や医師に近づいたり会話をすることが一切禁止となった。
(ドジでノロマな亀でおなじみの『スチュワーデス物語』みたいな展開。)

以降、患者さんが居ない時間帯は清掃婦、他は一日中反省レポートを書いた。
先輩がチェックし、OKが出るまで書き直すというもので、帰宅後も書き続けた。看護学校の時とまるで同じだった。
その合間、「叱るなら皆の目の前で叱ってください」と拒否をするも、無理やり個室に引きずり込まれ、人間が出来ていない、看護師に向いてない、早く辞めるべき、と先輩から叱責を受けた。半時間~1、2時間、日に何度も、であった。

現場に立つのは一切禁止だったが、時おり突然、先輩から指示があった。
それまでに指導を受けたり、練習したことがない手技を「今教えるので、今すぐやってちょうだい」というものだった。
最初の指示は先輩でさえ緊張して行っている造影剤の注射だった。もし漏れたら患者さんが皮膚損傷を起こす。
「出来ません。練習してからやらせて下さい」とお願いしても許されなかった。
ことなく実施してきたが、毎回とてつもない緊張とプレッシャーだった。

はじめは「そうやって鍛えてくれているのかもしれない」と良い方に解釈したが、それは間違いだった。
一度だけ、最初の一回だけドッキリでさせられるのみで、リピートはなかった。
以降も現場に立つことは禁止で、人間が出来ていない、看護師に向いていない、早く辞めるべき、という叱責は続いた。

ある日、「患者さんの造影剤が漏れていないかを観察して」と先輩に指示され、レントゲン室に入った。
ガラス越しにこちらを見ている先輩に「部屋から出ていいですか?」と言葉とジェスチャーで何度か伝えるも、OKの指示が出ない。
先輩がこちらを見てニヤッと笑った。その瞬間、撮影が始まった。
先輩は、私が部屋に居ることをレントゲン技師に伝えなかった。
撮影が終了するまで部屋に居る羽目になった。当然被爆した。

他いろいろあり、私は精神的にかなりダメージを受けていた。

ある日、私は急激な腹痛に襲われ、大量に下血した。
お尻からの大量出血に、最初は「痔か?」と思ったがそうではなく、腸から出血していて緊急入院だった。虚血性大腸炎だった。
(便秘がこの病気を誘発するが、それだけでなく、ストレスも誘因となる。)

退院し職場に復帰した。力むとまだ腸から出血するので職場に伝えてあったが、先輩はあえて力む作業を指示した。

とうとうここで私はギブアップした。
院長先生に「辞めないで」と引き留められたが、もう限界だった。

201609220557390ef_2017050716201453e.jpg 学校でのこと、職場でのこと、
看護に対する信頼は見事にぶっ飛んだ。
私は尻尾を巻いて逃げ出したのであった。


ちなみに、
三角折りは1966年、銀座の高級クラブ「クラブ順子」のママが逆さ富士をイメージして始めたという。
先輩が「社会の常識」と言ったのに対し、思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえたことは確かである。

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【結び】なんちゃらハラスメント

                        
ここまで、ハラスメントについて自身の体験を綴ってきた。 これほどまで同じようなことが続くと、自分に原因があるからでは?と思ったり考えたりもしてきた。 色々考え、ふり返ってもきたが、ハラスメント=心の中にあるコンプレックスやプライド、嫉妬などが刺激されたときの過剰反応、のように思えている。 たとえばコンプレックス。これは誰もがみな心に抱き、人には知られたくない、隠している、隠そうとしている部分だ...
ここまで、ハラスメントについて自身の体験を綴ってきた。

これほどまで同じようなことが続くと、自分に原因があるからでは?と思ったり考えたりもしてきた。
色々考え、ふり返ってもきたが、ハラスメント=心の中にあるコンプレックスやプライド、嫉妬などが刺激されたときの過剰反応、のように思えている。

たとえばコンプレックス。これは誰もがみな心に抱き、人には知られたくない、隠している、隠そうとしている部分だ。
このコンプレックスが表面化する(人に知られたり、人から指摘されたり、自分自身で自覚する)と、自信を失いそうになったり、 「自分は必要とされているのだろうか?」と不安に感じることがあるかと思う。

この不安が人一倍大きく、「自分が必要とされなくなるかもしれない」と過剰に意識、反応するとハラスメントに至る。
不安の元であるその出来事や人物を、目の前から排除してしまおうとするのだ。

そのため、相手が弱まれば弱まるほど、不安が減少し、自信や存在価値を大きく感じ、精神が保たれる。
相手が抵抗するなどして平気に見えると、度合いをどんどん強めていく。

自身を守るがための過剰な反応であり、プライドや嫉妬も同様だと思えている。
ハラスメントを行う人は、とても臆病で、気が弱いのかもしれない。

よわむし


経験からすると、一旦「排除すべし!」と心の中にインプットされたモードは、相手がどんなに歩み寄りの態度を示しても、そうそう切り替わることはない。
それどころか、むしろヒートアップする。

なので、あまりに度を越えたイジメ、ハラスメントに対しては、我慢するよりも逃げ出すのが一番、と個人的には思えている。

逃げ出すというのは「負け」みたいにも聞こえるが、そうじゃない。
自分を守るために、自分を安全な場所に避難させるだけである。

こどもの場合、転校、引っ越しなど逃げる選択、行動を自らとるのが不可能で、「親に迷惑や心配をかけたくない」と内緒にすることが多い。
悲しい報道がある都度、内緒にしないで相談してほしい、といつも思う。

ハラスメント常習者がのさばっていられるような環境は、土壌が腐っている。
そのような場所に根をおろすより、栄養たっぷりの土壌で生き生きと根を張った方がいい。大いに成長できる。

志しを自ら閉ざすのはよくないことだ、という思いから、極限以上に頑張ってしまったり、
志しを自ら閉ざしてしまったことに対し、罪悪感、やるせなさを抱き続けることもあるかもしれない。
実際、私はそうだった。そういう過程を経てきたと思う。

でも気付いた。

諦めたり逃げ出したりすることは、必ずしも悪いことではない。
それは自分で出したひとつの答え、ひとつの選択。
自分自身の答え、選択に自信を持つことは大切だ。

これまで頑張ってきたもの、頑張ってきた時間、全てが無駄になるかもしれないという不安があるかもしれない、無駄になってしまったという失意を抱くことがあるかもしれない。

実は私自身、自分がやってきたことが無駄だった、無駄になってしまったという思いを一時は抱えこんでいた。
カモミール.jpg
でも、今は違う。今は言える。

人生に無駄なことなど何もない。
全てのことに意味がある。

しなやかな強さを得て
次に歩き出そう。

カモミール『苦難に耐える』『逆境で生まれる力』

(photo by photoAC)

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